蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

伊東順真チャンネル

映画を中心に、ドキュメンタリーや特集番組などの紹介コーナー。
※ 2021.1.6 ~~各映画に公式サイトや予告編のリンクを付しました~~

目次

2022.12.10
【2022年】 シン・ウルトラマン
2022.12.9
【2022年】 アキラとあきら
2022.12.2
【2020年】 テネット
2022.11.10
【2022年】 トップガン・マーヴェリック
2022.9.7
【2021年】 ノマドランド
2022.9.6
【2021年】 コーダ あいのうた
2022.4.14
【2021年】 MINAMATAーミナマター
2022.4.13
【2016年】 ラ・ラ・ランド
2022.3.29
【2006年】 おいしいコーヒーの真実
2022.3.28
【2021年】 すばらしき世界
2022.2.6
【2020年】 三島由紀夫 VS 東大全共闘
2022.2.4
【2021年】 ずっと独身でいるつもり?
2022.1.3
【1997年】 タイタニック
2021.12.30
【2017年】 ワンダー 君は太陽
2021.7.1
【2018年】 グリーンブック
2021.6.16
【2010年】 黄色い星の子供たち
2021.6.15
【2014年】 ふたつの名前を持つ少年
2021.5.7
【2020年】 21世紀の資本
2021.5.6
【2017年】 ブレードランナー2049
2021.5.5
【1982年】 ブレードランナー
2021.1.17
【2019年】 記者たち―衝撃と畏怖の真実
2021.1.15
【2009年】 ハゲタカ
2021.1.6
【2009年】 正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官
2021.1.6
【2017年】 バリー・シールーアメリカをはめた男
2021.1.5
【2018年】 国家が破産する日
2021.1.5
【2018年】 ハンターキラー 潜航せよ
2021.1.4
【2018年】 ザ・ビッグハウス
2021.1.4
【2016年】 グッドモーニングショー
2021.1.4
【2019年】 天気の子
2021.1.3
【2017年】 ハッピー・デス・デイ
2021.1.2
【1976年】 タクシードライバー
2021.1.2
【2012年】 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
2020.12.31
【2009年】 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
2020.12.31
【2007年】 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
2020.11.12
【2003年】 チェルノブイリ・ハート
2020.11.11
【2020年】 Fukushima 50
2020.11.3
【2019年】 この世界の(さらにいくつもの)片隅に
2020.11.3~ 
【2019年】 【アニメ】連続企画「鬼滅の刃」編
2020.11.2
【1992年】 リバーランズ スルーイット
2020.10.17
【2019年】  家族を想うとき
2020.10.12
【1977年】 幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ
2020.9.22
【2018年】 ラプラスの魔女
2020.9.20
【2007年】 大いなる陰謀
2020.9.19
【2018年】 こんな夜更けにバナナかよ
2020.9.17
【2019年】 スキャンダル
2020.9.16
【2019年】 9人の翻訳家―囚われたベストセラー
2020.9.13
【2019年】 パラサイト―半地下の家族
2020.9.12
【2019年】 ブラック校則
2020.7.4
【1997年】 もののけ姫
2020.6.17
【2017年】 Mr.Children TOUR Thanksgiving 25
2020.2.24
【2019年】 アルキメデスの大戦
2020.2.2
【2013年】 図書館戦争

2022.12.10 現代に蘇った「ウルトラマン」


「シン・ウルトラマン」(2022年、日本)
 「ウルトラマン」の企画・発想の原点に立ち返りながら、現代日本を舞台にウルトラマンをリメイク。総監修庵野秀明、監督樋口真嗣。ヱヴァンゲリヲンの使徒を想起させる、次々と現れる巨大不明生物【禍威獣/かいじゅう】。日本政府は禍威獣対策の部門、【禍威獣特設対策室専従班】、通称【禍特対/かとくたい】を設立し、迎撃を行う。そのような危機の中、出現したのが【ウルトラマン(仮称)、正体不明】。
 宇宙の裁定者として、宇宙の130億種の知的生命体のうちの一つ「人間」の処分を決めた光の星。宇宙にとっては1種がいなくなったところで誤差であり、より完全な宇宙に向かうだけかもしれない。とはいえ、そもそも人間は、人間の意向に沿わないものを死に追いやる人間中心主義に生きており、それは光の星中心主義として、それぞれ対等のことをしているだけとも示唆される。ナウシカを彷彿とさせる、世界観の大きい一作。

2022.12.9 バンカーの仕事


「アキラとあきら」(2022年、日本)
 原作は池井戸潤の小説で、2006-09年の連載、2017年に文庫化。主人公は子供時代に父親の町工場が倒産した山崎あきらと、大企業の御曹司ながら血族経営を拒む階堂あきら。両者ともメガバンクに入社するが、信念は異なり、山崎は情に厚く、階堂は情を排する冷酷さを第一に置く。
 銀行業を知らなかったこともあり、その仕事について非常に勉強になった。とはいえ産業中央銀行の左遷先が「福山」なのは、備後地区として親戚も多く馴染み深い僕にとってやや気になる一幕。鞆の浦の漁港も気に掛かるようになる。
 完全に蛇足ながら… 物語に抑揚をつけるテーマは「宿命」だが、取捨選択可能な仕事のうち難題に挑むことが「宿命」なのだろうかと疑問符がついてしまった。語感の問題ではあるが、仕事の選択どころか、職業選択のある時点での「宿命」―、とはいえこれは完全なる職業病(?)なので深追いは禁物。物語としては「宿命」によってダイナミズムが生まれているだろう。

2022.12.2 時間をさかのぼり、未来を阻止する


「テネット」(2020年、アメリカ)
 クリストファー・ノーラン監督のSFアクション映画。過去に戻れるようになった未来から、現在に人類の破滅を呼び込もうとする計画がある中、それを阻止する(第三次世界大戦の阻止)任務を任されたチーム「TENET」を追う。
 控え目に言って、難しい。エントロピーを減少させる元素「プルトニウム241」が鍵になるという。時間をさかのぼることは過去の自分に会うことにもなるが、そこで自分の命がなくなればどうなるのか。また銃弾が逆に進み、それに撃ち抜かれると重症になるらしい。そこも鍵になると思うが、初見ではなかなか分からなかった。
 明確な敵が見えていないことも理解を難しくしているのであろう。とはいえ、最後の合戦は、明確な敵が見えていても難しい。「はたして真相やいかに?」(なんでも鑑定団風)

2022.11.10 かつての伝説の操縦士、現代での任務にあたる


「トップガン・マーヴェリック」(2022年、アメリカ)
 題名の通り、1986年のトム・クルーズ主演の大ヒットアクション映画の続編。海軍随一の操縦技術を持つ主人公だが、ミサイル遠隔操作技術の発達などから、海軍航空隊の存在意義を問われる岐路に立つ。
 そのような中、一つの任務を教官として指揮することを依頼される。それは「ならずもの国家が建設中のウラン濃縮プラントの破壊」である。精鋭12人を3週間で育て、6名を選抜しての、一度きりの作戦である。当然、相手側の周到な防御システムも自明で、作戦中の命の保証はない。
 一つの作戦に技術的に相当の準備をすることの大切さ、帰還するまでが作戦という軍事作戦の鉄則にハラハラの展開であるが、そもそもの「兵戈」に、本音では歓喜しきれないもどかしさもある。
 ただひたすらにかっこよいトム・クルーズも、前作同様である。口を開けていてもかっこいい。”Don't think, just do”.

2022.9.7 「ホームレス」ではなく「ハウスレス」


「ノマドランド」(2021年、アメリカ)
 第93回アカデミー賞作品賞、監督賞、主演女優賞を受賞。ネバダ州の企業城下町に住む60代女性のファーンは、リーマンショックによる企業倒産の影響で家を失い、キャンピングカーに全てを詰め、季節労働やアマゾンの梱包ベルトコンベアー労働を渡り歩く車上生活を送ることになる。
 「ホームレスではなくハウスレスよ」。僕はまだ、自分の家を手放すことを予想したことも考えたこともなく、余りにも複雑で重いであろうその気持ちは、僕には到底慮ることはできない。
 社会情勢の変化による、消極的不可逆的な「ノマド」、ではあるが、単に代わりの住居さえあれば良いというものでもないのだろう。ファーンの生活は、故郷や夫への執着・喪失感が離れない。自分の人生への尊厳も当然守られるべきであり、もちろん両面あるものの、すべて含めて「ハウスレス」ということなのだろう。

2022.9.6 音声言語ではなく手話こそが最重要コミュニケーション、当然。


「コーダ あいのうた」(2021年、アメリカ)
 「コーダ」とは”Children of Deaf Adults”(耳の聴こえない両親に育てられた子ども)の意。第94回アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演男優賞を受賞。
 漁業を営む耳の聞こえない父、母、兄と過ごす高校生ルビーは、所属する合唱クラブの顧問に歌声の才を見出され、都会の名門音楽大学への受験と進学を進められる。しかし苦境にあって組合設立に奔走する一家にとって、世間・社会との音の窓口であり、既に労働力として自明視されていたルビーが離れることはあり得ないことであった。合唱部への所属は、そうした両親への反抗心、反発心ゆえとも考えられる。歌の才能に生きようとするという認めがたい娘の進路は果たしてどうなるのか。
 合唱部でデュエットを組むマイルズと親しくなる過程で、両者の階級的・生活的意識の相違も描かれる。学歴や評判と無縁でいられないマイルズは、一家水入らずのロッシの家族をある意味羨み、嫉妬までしてしまう(ゆえに学校で曝露してしまうのだろう)。音楽エリートの顧問の先生とも違うのだろうか、一家との時間感覚のズレが強調される。
 本作のハイライトは合唱発表会。音の聞こえない両親は、音のみにフォーカスした場で、娘の歌によって、音の持つ力の強さ、偉大さに感動するのである。

2022.4.14 「実話」は「過去」を意味するものではない


「MINAMATAーミナマター」(2021年、アメリカ)
 端的に、当チャンネル史上最高作品。傑作。必見。1971年に水俣病を撮影・記録したアメリカの写真家W・ユージン・スミスを描いた実話。ジョニーデップ主演。化学会社チッソは水俣工場からメチル水銀を無処理で流し、1956年頃には周辺住民の症状を知り、1959年頃に原因物質を大方特定し得ていたにも拘らず、その対処は1968年まで先延ばしとなる。  1950~60年代は、文部科学省検定済教科書においては「高度経済成長期」かもしれないが、不知火湾に住む方々にとってはそうではなかっただろう。
 映画の終幕は「入浴する智子と母」という一枚ではなく、「窒素と日本政府はまだ責任を遂げていない」「水俣病は終息したという宣言は、今も苦しむ数万人を否定するものである」という「事実」である。

2022.4.13 「個人」と「自由」の保証は、「夢」を原動力とする人生のため


「ラ・ラ・ランド」(2016年、アメリカ)
 ロサンゼルスを舞台に、夢を追う二人を描く。女優を目指すミアと、ジャズ演奏家として生きることを目標にしているセブ。お互いの夢を尊重すること、どこかでどちらかが妥協すること。自分の夢に自分のすべてをかけること。
 結局、二人が人生を共にすることはなかった。「女優」という狭き門をくぐり、海外への挑戦という「大博打」に勝利したミアだったので、ハッピーエンドに終わってホッとした。
 ここまで克明に「夢」と「愛」の二項対立を描けたことは、「個人」と「自由」の価値を最大限尊重するアメリカらしい、もっと言えば、カリフォルニアらしい映画である。自分の夢を自分の責任でチャレンジすること―それが受け入れられるカリフォルニアはやはり魅力的で、世界中の多くの人の憧れの場所というわけである。
※ 日本国憲法 第22条第1項「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」…

2022.3.29 中間を介在させない点では、イオンのサンマにヒントあり?


「おいしいコーヒーの真実」(2006年、英国&米国)
 舞台はエチオピア。全世界で1日20億杯飲まれるコーヒーは石油に次ぐ国際商品であるが、コーヒー農家に支払われる対価は低い。1900年代終盤の国際市場相場の暴落は生産者の生活を崩壊させ、麻薬植物栽培へ転換する生産者が出るような状況となっている。西欧諸国で一杯330円のコーヒーだが、そのうち生産者に届くのは3~9円である。
 その大きな理由として二つ、中間業者の存在と、先進国の農業投資&保護政策が紹介される。農家→地域組合→輸出業者→海外バイヤー→焙煎業者→小売店&カフェ→消費者、と渡り歩けば多くは生産者には入らない。また途上国のコーヒー農家は、品種改良やブランド化ができず、世界規模の安価な価格競争にさらされるばかりとなっている。国際貿易会議で、ある途上国の代表が、先進国が農業保護をやめ、いっそ一切を自由貿易のもとで市場原理に委ねることを訴えていることが印象的である。
 PS.「南北問題」というタームが衰え、「SDGs」が先進国の搾取を地球の問題と棚上げしかねない昨今、プーチン氏&ロシアが公言を憚らない敵対勢力の呼称を「西側」としたのも、新しい世界の対立構図を考えているのかもしれない。

2022.3.28 2021年を代表する社会派作品


「すばらしき世界」(2021年、日本)
 小さい頃にヤクザの世界に入り、殺人を犯し、人生の大半を刑務所で過ごしてきた主人公・三上。社会復帰をしようとする彼に焦点を当て、その周辺の人間模様が綴られる。
 扱うテーマは多岐にわたっている。生活保護の認識、出所者のリスタートの困難さ、暴力団と風俗の関係性、また若干のメディア人の葛藤にも触れている。それぞれが重要なテーマであり、この作品の価値そのものであるが、視聴者に教え諭すような丁寧な説明に違和感を抱いてしまった。他方でそれだけ分かりやすく、勉強にはなるし、その点観る価値は十分にある。個人的には、殺人犯罪人の倫理面を扱った作品なら「幸福の黄色いハンカチ」の方が、福祉窓口、医療窓口の事務手続き的な制度を問うた作品なら「私はダニエルブレイク」の方が、説明し過ぎていない分、好みである。
 その意味で言えば、余計なことを言えば、「鬼滅の刃」より「タイタニック」の方が好みである。

2022.2.6 知の決闘


「三島由紀夫 VS 東大全共闘」(2020年、日本)
 1969年5月に東大駒場キャンパス900番教室で行われた討論会。東大全共闘1000人を前に三島由紀夫が単身乗り込み、言葉と言葉で決闘する緊迫の2時間が蘇るドキュメンタリーフィルム。(二日前に観た一本より圧倒的に筆が(進む)。何なら前回のは文体がブレブレで内面の動揺を隠せてない説)
 特に、挑発する東大全共闘の論客に対して三島が誠実に真摯に向き合っていることもあり、それほど敵対するでもなさそうと思っていた両者は案の定それほど敵対していない。しかし、その言語化が見事。三島と東大全共闘のエース・芥正彦の共通の敵は「あやふやで猥雑な日本国」。
 ただし細部は異なる。人間を多様な権力から解放し、原初の姿を実現しようとする芥(解放区に執着する所以)と、あくまで日本人であることにこだわり、国運と個人的な運命が合一する陶酔感(終戦で物語の崩壊)を取り戻したいとする三島。議論の中で二人の立場が鮮明になる、「中身のある」議論。
 ”三島由紀夫の再来” 平野啓一郎氏の解説にも唸らされた。

2022.2.4 コメントすることが非常に難しいテーマ…


「ずっと独身でいるつもり?」(2021年、日本)
 売れっ子ライターの本田まみは、精神的にも経済的にも自立している。〈結婚家事育児〉の女性像から脱却し、血縁共同体にも依存せず、個人主義の世界に飛び込んで掴み取った「自立」。他方、有名になったことで恋愛や結婚といったプライベートが周辺には「商機」と見えてしまう、その側面でも「個人」が守られたらいいのになと思う。
 通しての感想は、女性に限ったことではないけど、みんな比較しすぎ!です。本作ではSNSの負の側面「ザ・比較」が露骨すぎる気がする…笑 「より良き自己実現」を目指す人はかっこいいし、働く女性もかっこいい。社会の個人主義・資本主義の進行がその「かっこよさ」を可能にしたなら、良かったと思う側面。でも、個人主義・資本主義が宿す「比較&競争」が行き過ぎると「他者より自己実現」が目的化し、それだと極端には70億人ピラミッド中1人しか幸せになれない世界… もちろん男性の僕には見えてない問題もあるに決まってるので、何も見えてない無自覚な男性(私)が傷つけることだけは避けないとですね、肝に銘じます…
 藤井隆氏のセリフ「この番組は悩める現代女性に現実の厳しさを突きつけていこうという教養番組」には、思想的重みのある「教養」概念に、また一つ新たな側面を垣間見る。

 2022.1.3 誰もが知る名作


「タイタニック」(1997年、アメリカ)
 1912年4月10日の豪華客船沈没の悲劇をモチーフにした物語。ディカプリオの出世作。当時の史上最高額となる製作費2億ドルを費やし、同時に全世界累計興行収入も史上最高額の22億ドルを記録した、映画史に残る一作。
 年末年始を利用して2回目の鑑賞。今から考えると、船舶設計から洋上航海に至るまでの杜撰な安全管理、責任体系に、どうしても目が行ってしまう。沈没を知らされる者と知らされない者が共存する船上の混沌とした様子。それだけ一層、パニックを防ぐための、そして「事実」から目を背けさせるための陽気な音楽隊が印象的である。船の沈没と一刻を争う後半のスペクタクルには見入ってしまい、2回目の本作鑑賞であったものの、3時間を超えるらしかったという一抹の懸念はいつの間にか忘れてしまっている。

2021.12.30 人に薦めたくなる映画2021年度第一位


「ワンダー 君は太陽」(2017年、アメリカ)
 学校で高校生に見せたい個人的映画ランキング、「インビクタス」と甲乙つけがたい、堂々の同率第一位。容姿に強烈なコンプレックスを持つ生徒を中心に、子どもたちの一年間を追った物語。最後、学校が、成績とは無関係に人格や影響力を基準として生徒を表彰する恒例行事には星三つ。
 どうしても教育学部卒の目で学校問題として観てしまった(職業病?)が、「未来に前向きになれる」映画。生徒を取り巻く大きな要素に、他の生徒、教師、家庭、があるが、主人公オギーは、信頼できる後ろの二要素(管理職含め)に守られている中で、他の生徒たちと人間関係を育み、成長していく。現実の学校も、せめて、オギーのような環境が担保されれば良いのになぁと思う、それでも傷つく事ばかりで大変なのだから。

2021.7.1 肌の色の違いは、肌の色の違いでしかない。


「グリーンブック」(2018年、アメリカ) 
 キング牧師が先頭に立ち、黒人の諸権利を訴えたのが1950年代~60年代。61年にケネディ大統領は黒人の公民権を認め、64年に公民権法が成立。本作はそのさなかの1962年、あえて人種差別の強い南部に向かう、黒人のピアニスト・シャーリーと、白人の運転手兼代理人・ヴァレロンガの物語。
 2020年5月25日、ミネアポリス近郊で白人警官に不当に殺害されたジョージフロイドさんの死は、今なお根強い黒人差別の悲しい現実として世界に衝撃を与えた。
 「いい映画」。心に満足感の残る、人に勧めたくなる映画。本作はまさにそのような映画であった。確かに、人種差別の悲惨な歴史は、本作のような白人の人間成長&ハッピーエンドという右肩上がりの物語が全てではないが、それでも解決の根本には、本作が説くような、両者が認め合い、分かり合えるという信念が必要ではないか。
 21世紀に入り、オバマ大統領が誕生し、あるまじき人種差別は解消の方向に向かう、と誰もが夢見たとき、白人至上主義を掲げる人物が大統領に就任する世界である。一人の人間を、「そのままの存在」として肯定すること。本作がアカデミー賞作品賞並びに脚本賞に輝いたことの意義は大きい。

2021.6.16 そこには一人一人の人間がいる


「黄色い星の子供たち」(2010年、フランス)
 1942年7月16日、ナチス占領下のパリで、ヴィシー政権はナチスとの政治取引として、1万人以上のユダヤ人を一斉検挙する(ヴェル・ディヴ事件)。検挙されたユダヤ人は暫定的に自転車競技場に閉じ込められ、後日絶滅収容所に送られることとなってしまう。
 焦点が当てられているのは子ども、そして正義感に満ち、当然子どもたちが殺されると知らず懸命に治療に当たる医師と看護師。中心的な描写となる子どもたちの真っ直ぐで純粋な眼差し、大人よりも喜怒哀楽が豊かに表情に表れる様子は、「ライフ・イズ・ビューティフル」、「シンドラーのリスト」同様、悲惨な結末が念頭に浮かぶからこそ一層胸が張り裂けそうになる。
 ホロコーストを人間が犯してしまったという目を逸らすことのできない事実。H・アーレント『全体主義の起原』の第一部が「反ユダヤ主義」であることを直視し、私自身の問題として、まずは今日的な「差別」の問題、具体的には例えばヘイトスピーチの問題などと向き合い、問い続けていきたい。

2021.6.15 なぜこんなことが起きなければならなかったのか


「ふたつの名前を持つ少年」(2014年、ドイツ&フランス)
 ナチスの収容所から逃げたユダヤ人少年スルリックが、常に命を追われながらも懸命に生きる過酷な実話が基。一人で苦しく生きていかざるを得ないという紛れもない事実を眼前に突き付けられるのは、悲しくて仕方がない。
 私自身の研究の対象年代はいわゆる戦前・戦中。「この世界の片隅に」を初めて観た時にも感じたことだが、この時代を語ることは非常に難しい。容易には語れない、語ってはならないとさえ思う。でも、語り継がねばならない。昨年、大木毅『独ソ戦』(岩波書店、2020年)を、新書大賞2020の名に恥じない「面白さ」を覚えながら読んだわけだが、そのダイナミズムの背後にはスルリックの一つの命があったはずだ。昨年の無邪気な読後感のままでなく、今日を以て若干訂正されて良かったと自分を少し恥じる。
 差別はあってはならない。もちろん、自分は差別をしかねないという自覚ももっておかねばならない。今はまだ、この両者の折り合い/比重に、自分なりの決着はついていない。

2021.5.7 世界的ベストセラーが一本の映画に(つまり「100分で名著」)


「21世紀の資本」(2020年、フランス)
 資本主義世界での富の増大は均質・均等に生じるとする通説を鮮やかに切り、自由な資本増殖は格差拡大を招くと警鐘を鳴らしたピケティ著、同名ベストセラーの映画版。内容はいわゆる近代の「世界史」を「資本」の観点から追ったもので、高校世界史を「どうせ将来役に立たない」と達観する高校2年生を対象に、ぜひ授業中に観せたい一本。
  富める者と貧しき者の格差が増大するばかりの世界に未来はあるのか。 それは私たちに懸かっている。「可能なら惑星をも併合したい」と傲慢にも喝破した英植民地相セシル・ローズ(1853-1902)に象徴される帝国主義は第二次世界大戦を導く。しかし日本の降伏間際、英首相は保守党チャーチルから労働党アトリーへ政権交代(1945年7月)、つまり戦功誇示の国家主導政治より、未来を向いた福祉国家政治が英国民によって選ばれたのである。
 さて私たちはどこを向くか。社会の格差は差別、分断を生む。「資本のための人間」という転倒した現状を見つめ、私たちの手で「人間」であることを回復したい。

2021.5.6 人間の固有性って何?


「ブレードランナー2049」(2017年、アメリカ)
 1982年作品の続編。タイトルの通り、舞台は2049年、ロサンゼルス。前作でのレプリカント(人造人間)は「旧型」となり、本作ではその「新型」と人間とが共存して社会を形成している。主人公である新型レプリカントKは、「旧型」の解任(抹殺)を任務とするブレードランナー。「旧型」の「出産」という前代未聞の事件を嗅ぎつけ、Kはその子ども探しに奔走する。
 人間と「新型」との共生は観ているだけでは見分けがつかず、各登場人物がどちらなのか分からなくなる。おそらく人間の認知機能はその程度なのだろうが、名状しがたい違和感を感じる。人間にしか持ちえないもの、人間を人間たらしめているものは何なのか、ふと考える。 →もしや我々の永遠の宿敵、「煩悩」「執着」ではあるまいか…?

2021.5.5 人間と人造人間の物語


「ブレードランナー」(1982年、アメリカ)
 2019年のロサンゼルスを舞台としたSF映画。技術の発達によりタイレル博士は人造人間「レプリカント」(寿命は安全を期して4年)を作り、地球外での宇宙開発などに従事させていた。しかしレプリカント6体がそこから脱走し、地球に潜り込む。これを解任(抹殺)するのが標題たる「ブレードランナー」、主人公はデッカードである。
 レプリカントの地球潜伏の理由はタイレル博士との対面であるが、これは「死」への恐怖ゆえであった。だが延命の希望途絶えたバッティ(レプリカント)は絶望感から博士を殺してしまう。一方、ラストシーンでは、デッカードとの一対一の対決にも拘らず、その絶体絶命をむしろ救う。自らの死期がまもなくと悟ったバッティはデッカードを自らの生存の証人とせしめる如く、奴隷として働かされた恐怖の感情を告げ、その生命を終える。人間よりも人間らしい、人造人間の最期である。

2021.1.17 戦争が国の目的となること―内憂を見えなくする外患という劇薬


「記者たち―衝撃と畏怖の真実」(2019年、アメリカ)
 9.11テロ(2001年)からイラク戦争開戦(2003年3月20日)までの一年半を追ったノンフクション作品。「イラクに大量破壊兵器はある」として軍隊派遣を目論むブッシュ大統領&国防省の発表を鵜呑みにするNYタイムズ、ワシントンポスト、FOX、CNN等に対し、本作の主役ナイト・リッダー紙の記者達はその趨勢を疑って一線を画し、大量破壊兵器の有無は方便に過ぎず、むしろ開戦こそが目的ではないかと「真実」を探る。結論から言えば、「なかった」。2004年10月6日、「イラクに大量破壊兵器はなかった」と報告された。大手メディアの報道は全て誤報であった。
 確かに9.11以降のアメリカ社会は混乱していた。その背景に「キューバ危機」(1962年)と「ベトナム戦争」(1965-73年)という二つのトラウマを垣間見せながら、本作は感情的になるアメリカを冷静に描き直す。
 さて、始めるは易しも誰も戦争の終わらせ方を知らない。91%という史上最高の大統領支持率とともに開戦し、4月9日首都バグダッドを陥落させ、5月1日には一応の終結を宣言するも、全面撤退は2011年までずれ込むこととなる。多数の死傷者のみならず、国家、民族、宗教を切り裂いたことは、例えばテロリズムをも辞さない「IS」の台頭と無関係ではないのではなかろうか。

2021.1.15 「金融商品」の中で人は生きている、そういう世界と言い切ってしまうのか


「ハゲタカ」(2009年、日本)
 面白かったかと言われると、僕の個人的人間本性的に眉をひそめてしまう類の作品。しかしながら「良薬口に苦し」、知っておいて損はないだろうと観てみることに。
 大人気だったというNHKドラマを映画化。テーマは「企業買収」で、日本の大手自動車メーカー「アカマ」の株を巡る、日中米の投資ファンドによる駆け引き。金融商品の売買に倫理規範はあるべきなのか、あると言わなきゃいけない気もする。結論を考えながら、どんな結末になっても胸が晴れないなと達観してしまったが、上場することの意味からするとそれも覚悟なのか。
 隠れた説教臭さも腑に落ちないあまのじゃくな僕なので、いっそのこと振り切れたマイケル・ムーア監督「キャピタリズム~マネーは踊る~」が、実は金融危機関連の映画では一番好きだったりする。

2021.1.6 日本の「世界最強のパスポート」=国籍取得へのハードル=排他性の裏返しか


「正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官」(2009年、アメリカ)
 移民大国アメリカにおいて、入国の管理、不法滞在の取り締まりを一手に引き受けるのがICE(移民関税執行局)である。太平洋と中南米の玄関・ロサンゼルスを舞台として、やや甘いICE捜査官マックスと、彼が向き合う市民権取得を目指す様々な移民の物語を描く。
 ICEが同時多発テロを機に諸機関を統合して設立されたという経緯もあって治安維持の側面は強く、黙認されていた不法滞在が何らかの不都合を契機として退去要請に至ることも少なくない。このことはムスリムの少女を巡る作中の一連の対応に顕著で、言論の自由の価値を知る彼女が、アメリカ社会の「イスラム」への蔑視と無関心を批判し、9.11への目的的理解を示すという「市民」としての言動が、アメリカ社会の治安という「正義」ゆえに目を付けられてしまう。
 不法入国、不法滞在を巡る問題は日本でも例外ではない。一方では2019年に入管難民法を成立させて外国からの労働力を期しながら、他方入管での対応が非人道的であると国際的な非難を浴びており、むしろ喫緊の課題として屹立する。

2021.1.6 スペクタクルな「運び屋」、その報酬はどこから?


「バリー・シールーアメリカをはめた男」(2017年、米国)
 天才的な操縦技術を買われ、民間パイロットから極秘任務を遂行するCIAに「転職」したバリー・シールが主人公。共産化が進む中南米の偵察と傀儡組織への武器提供という本業の傍ら、米国への麻薬密輸に手を染めながらも、DEA(麻薬取締局)、ATF(密輸取締局)、FBI(連邦捜査局)、はたまた州警察からも器用に逃れ、莫大な報酬を得る。
 確かにトム・クルーズはかっこいい。「トップガン」(1986年)のイメージもあり、パイロットが似合う。しかし「世界警察」あるいは「金融大国」という華々しい「合衆国」には、「ムーンライト」(2016年)にみられるような、暴力と依存症が蔓延する「世界」も同時に存在している。人間を薬物漬けにするあるまじきビジネスの構図はアヘン戦争(1840年)と同じであり、バリーはこれに加担した「運び屋」であるから本作を「かっこいい映画」と評することには抵抗がある。今一度アメリカの誇る「正義」に鑑みて、このビジネスサイクルを終焉させる ”Great” な国になってほしい。

2021.1.5 国家を脅かすものが武力に限らなくなった時代


「国家が破産する日」(2018年、韓国)
 1997年に金融危機を迎えつつある韓国の情勢を、奔走する韓国銀行幹部、責任を負いたくない官僚トップ、何も知らされていない中小企業の社長、危機をチャンスとみる投資家のそれぞれの視点から描く史実リメイク映画。
 国家中枢で争点となるのは国際通貨基金(IMF)からの資金支援覚書を締結するか否か。そもそも、このIMFは信じるに足るのか。一昨年、日本にプライマリーバランスの黒字化(財政の健全化)を求めて2050年までに消費税20%への引き上げを進言したIMFだが、同様の忠告を受け止めたギリシャ、アルゼンチンは過去に財政破綻している。当時のIMFのナンバー2が日本の財務省出身者であることも留保する必要があるだろう。本作でもIMFとアメリカとの癒着が指摘される一幕がある。
 1990年代後半のアジア通貨危機然り、国家が破綻し、失業者、死者が続出するほどの事態を招く「投資」(「マネーゲーム」とすら称することもある)はさすがに度を越えているのではなかろうかと、素人の肌感覚にはそう感じる。

2021.1.5 クーデターが起こった国家をどう救出するか


「ハンターキラー 潜航せよ」(2018年、アメリカ)
 舞台はロシア領海、アメリカの潜水艦タンパベイが何者かに撃沈される。それは時を同じくした、ロシアにおける国防大臣を中心とした国家クーデターの狼煙であった。一連の事件を経てアメリカとロシアの緊張は極限まで高まり、第三次世界大戦という悪夢がアメリカ軍内部で現実味を帯びる。タイトルの「潜航せよ」とは、囚われたロシア大統領の解放という任務を負った主役の潜水艦アーカンソーへの激励である。
 そもそもロシア領海にタンパベイがいること自体がマズイい気もする上、この軍事作戦そのものがあまりに無謀な気もするが、なぜか観ていて嫌ではなかった。分かりやすいストーリーも随所で予想が裏切られ、妙に没頭してしまう作品であった。

2021.1.4 「お金儲け」に勝てるものはあるのかー教育の「商品化」の一側面


「ザ・ビッグハウス」(2018年、日本・アメリカ)
 箱根駅伝を走る各大学の公式ユニフォームに、今年からスポンサーがついていたことをご存じだろうか。青学大の原監督は「競技の好循環には勝利と資金と普及の三要素が必要」と、「資金」調達のボーダーレス化に肯定的である。学生スポーツを商品化し、利潤を強化費に充てるという一見真っ当な論理である。
 さて、そのモデルたる(?)、世界大学ランキング22位(東大は36位)の超名門・ミシガン大学のアメフト部。世界最大級10万人収容のスタジアムは毎試合満員、その年間売り上げは放映権等含めて日本プロ野球球団の平均を凌ぐほどである。「元が取れる」と判断されれば価格は上がるのが市場の摂理である。そこには、例えば旧帝国大学による「七大戦」の「運営理念」筆頭に掲げられた「真のアマチュアリズムの追求」は無いと言って等しい。「人間形成」に眼目価値が置かれていたはずの学生スポーツの「商品化」に、未だ猜疑は晴れない。懸念を付言すれば、大学スポーツの商品化の先には大学そのものの商品化が待っているだろう。

2021.1.4 ワイドショーの真相や如何に


「グッドモーニングショー」(2016年、日本)
 ワイドショーのメインキャスター澄田は、視聴率低下ゆえの降板、アナウンサーとの不倫暴露という悲しみの中、立てこもり犯の要求が自身との面会という更なるトラブルに巻き込まれた。本作ではその様子が若干コミカルに描かれる。
 本作の構図として理解しかけたのは、①事件報道の主導権を争う、ワイドショーと報道部のプライドを賭けたつばぜり合い、②社会的弱者・困難者に目を注ぐジャーナリズム精神重視か、消費と恐怖を煽る視聴率優先かという葛藤、であったが、①は自覚と責任を備えた仕事人の格好良さに惚れ惚れしたものの、②については小さくも精一杯の声に建前だけ向き合い本音はノイズとして処理、のみならず視聴率のためには後ろめたさ毛頭皆無で視聴者の声を改竄しもする、いずれも日常茶飯事という描きぶりで、ラスト、テレビマンは家庭で笑顔、というショックなストーリーである。これが単なるリアルさの演出ではなく、ワイドショーへの反面教師としての皮肉と警鐘であることを願いたい。

2021.1.4 舞台は近代都市、テーマは前近代的儀礼、その両極端という斬新さ


「天気の子」(2019年、日本)
 日本を代表するアニメ監督・新海誠監督の最新作ということで、期待して鑑賞。確かに爽やかなストーリーで、鬱蒼とする雨を、晴れてほしいという依頼者の願いを聞いて晴れにするいくつものシーンは、観ていてこちらの心も晴れる
 陽菜の弟凪をめぐる人間模様は、これぞ東京の小学生なのかと私の小学時代との異同に啞然としたが、むしろ今からの小学生はこれを見て小学生の何たるかを知るのであろうか、そこにはカナヘビもクマゼミもショウリョウバッタも石蹴りもなく、心なしか寂しさと歯痒さが脳裏をかすめる。
 しかし鑑賞後、本作の主題が「人柱」であると気づき大きな衝撃を受けた。人智の及ばないものへの人為的サクリファイス。これは日本的というより世界普遍的な民俗学的習わしであり、確実に存在した人間普遍的と言える非人間的儀礼。もちろんリバイバルは言語道断だが、そこにある人間中心ではない世界観とともに向き合う必要はあるかもしれない。

2021.1.3 死を想うこと、その日を生きること


「ハッピー・デス・デイ」(2017年、アメリカ)
 「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」。こう言ったのはインド独立の父マハトマ・ガンジーであるが、本作は「今日中に死ぬ(殺される)」ことが繰り返される映画である。主人公のツリーが、殺されると同時に目覚めからまた一日が始まり、その繰り返しの中で犯人を捜すという物語である。
 当然、今日死ぬと分かると、その日の過ごし方が変わる。ツリーが退屈に過ごしていた何気ない日常が、さして気にも留めなかった人、風景までも愛おしくなり、活き活きと彼女の目に映るようになる
 サスペンスとしても観れる作品で、犯人は予想だにしなかった人物であり、驚かされた。本作について友人からはホラー要素は皆無と聞いていたが、そんなことはなかった。

2021.1.2 「悪」を許せない男の正義感とどう向き合い、どう折り合いをつけるか


「タクシードライバー」(1976年、アメリカ)
 およそ一年前に賛否の渦を巻き起こした「ジョーカー」(2019年)、その元ネタと言われる本作である。ベトナム戦争からの帰還後、精神的な後遺症、不眠症に悩まされながらも何とか夜勤のタクシー運転手を務めあげる、主人公はそんなトラヴィス。結果として多くの命を殺めるという許されざる犯罪を起こすが、その背景には、嘘偽りの瀰漫したベトナム戦争、社会に蔓延る暴力、性搾取、既得権益に執着する政治家など、彼の強い独善的正義感の発作が暴発しかねない条件が満たされつつあったことは否定できず、彼個人の「凶悪犯罪」と一蹴することへの後ろめたさが睨みを効かせてくる。同時に今日明日の私たちの身辺とて例外ではない、いつこのタクシードライバーが隣にいても不思議ではないと語りかけてくる。

2021.1.2 ヱヴァンゲリヲンを観る③


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」(2012年、日本)
 正直、追いつけなかったという読後感ならぬ「観後感」が残ってしまった。地球を垂直方向に、しかもマイナスに掘るという空間把握ができず、セントラルドグマに至る立体的世界が掴めずにいた。またストーリー展開も、地球人VS使徒という疑わなかった対立構図さえ怪しく、もしや「人間」さえプログラムされた人工的産物なのかと訝しがってしまう。「人類補完計画」の全貌とともに、数々の疑念が、実は張られた伏線であったと今年公開予定の最終話にて明かされることを期待してしまう。
 「シン・ゴジラ」等しく音楽が印象的である。場面との「調和」のみならず「調和した不調和」とでも表現できそうなシーンもある。しかし後者を「印象的」と形容するのが精一杯であり、作品理解と語彙の不足が私事ながら悔やまれる。 シンジくんのピアノ演奏はかっこいい。ちなみにその上達速度は「トムとジェリー」のトム並みに早い。

2020.12.31 ヱヴァンゲリヲンを観る②


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」(2009年、日本)
 依然として女性性は強調されながらも、NERVの事務職、管理職、戦闘職(?)の男女比はほとんど同一、綾波レイの上靴は青色、お弁当を作るのはシンジと、ジェンダー先進的な設定。もちろんかなりのトップダウンで、国家と国連(NERV)の持つ権力は極限まで高められているが、使徒の撃破あってこその地球の暮らしのため当然なのかもしれない。
 一方で、悩めるシンジくんが農業を手伝う場面がある。「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」(シータ)という「ラピュタ」のメッセージが頭をよぎるが、これは地球人の進むべき道として、地球外生命体からの攻撃を防ぎこそすれ決して宇宙進出には手を出さず、地球の自然とともに暮らすのが良いという謙虚な暗示と受け取った。

2020.12.31 ヱヴァンゲリヲンを観る①


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」(2007年、日本)
 年末年始を利用して新劇場版の三部作を観ることを決意。言うまでもなく庵野秀明監督は宇部市出身ということで、日本アニメ界のメルクマールを確かめておきたいという意思とともに、その話題への言及を期待されながら「観たことがない」と告白する際のやるせなさまで解消する作戦。
 作中、獺祭ヱビスビールを確認。旭酒造とサッポロビールの共演/饗宴に心躍る。人類の共通の敵の「コア」を射抜いて撃退するというモチーフは「進撃の巨人」や「鬼滅の刃」を彷彿とさせるもので、今日まで尾を引く強い影響力が窺える。アニメにおける女性性の強調も、本作がその風潮の先駆けであったのかと考えてみたり。続編が楽しみです。

2020.11.12 生まれてきた子どもが、どうして背負わなければならないのか


「チェルノブイリ・ハート」(2003年、ウクライナ)
 1986年4月26日、旧ソビエト、現ウクライナのベラルーシ国境付近のチェルノブイリ原子力発電所の四号炉が爆発事故を起こす。史上最悪と言われる原発事故である。当時は情報の隠蔽もあり、また事故対応も万全ではなく、多くの放射性物質が拡散した。
 「チェルノブイリ・ハート」とは、原発事故の周辺地域で生まれた、心臓が変形した新生児のことを指す言葉。放射線汚染は遺伝子破壊という人体への甚大な被害をもたらし、新たに生れてくる命にまで悪影響を残している。
 事故現場から近い街の医師の「健常児が産まれる確率は15~20%ぐらい」という言葉が耳から離れない。自分の生まれる前の人為的事故の影響が、自分への障がいとして宿命づけられた子どもがいる事実を、受け止め切れないでいる。

2020.11.11 「コスパ最強」「環境にやさしい」は本当?


「Fukushima 50」(2020年、日本)
 本作は福島第一原発について、3.11の津波到来から1週間程度(?)がクローズアップされたノンフクション映画である。全電源を喪失した原発の暴走を食い止めるべく、命を懸けた東電社員、現場作業員の姿が描かれている。必死に対応する勇敢な現場と、あくまで国や株主を伺うような東電本部が対立的に描かれ、現場への感情移入を増幅させる構図となっているが、その吉田所長も東電の人間である。
 しかしそこに漂うのは、現場が対峙する「原子力発電所」の、言いようもない不気味さ。下請け作業員の「ここで死んだら殉死だな」、あるいは自衛隊員の「国を守る」といった言葉も、相手は自然災害や凶悪犯ではない。経済合理性の名の下に国策として進められた「原子力発電」の陰に、利権、政官財の癒着など、黒いものがちらつく。聞けば、東京電力の原発である福島と新潟の柏崎刈羽、いずれも東北電力の電力供給地、つまり管轄外の土地のようである。
 そして本作で描かれた原発事故は、原発事故の「本質」ではない。本質はその建設・運営プロセスと、事故後に残る償いきれない長期の汚染人体への後遺症である。「チェルノブイリ・ハート」ですら、そのほんの一部分に過ぎない。

2020.11.3 この世界に居場所はそうそう無くなりはしない


「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019年、日本)
 オリジナル版は映画館で鑑賞し、衝撃を受けた珠玉の映画。こちらは約40分のコマが追加されたいわば完全版で、遅ればせながらの視聴。二度目のストーリーを追いながら、晴美さんがどうなるか知っているだけに観ていて心が痛む。
 本作には東条英機も、マッカーサーも登場しない。それでも史実としての正確性に疑いなく、戦争/歴史物語を正面に据えながら、反発がどこからか出ておかしくないのにさして出るわけでもない、その全体構成は素晴らしい
 すずさんは栄養不足から不妊という悩みを背負う。これまでもちろん不満や不自由はありながらも笑って生きてきて、水原哲さんに「普通だな」と言われて嫌気を感じないくらいにはむしろ「普通」を目指して生きてきたすずさん。そんな彼女が初めて突き当たった根源的な悩み。この悩みを巡るリンさんとの会話こそ、「ありがとう、この世界の片隅に、うちをみつけてくれて」というキャッチコピーに現れる、本作のメインメッセージなのではないだろうか。

〈番外編〉 安芸門徒として見た「この世界の片隅に」


浄土真宗の盛んな広島県。果たして昭和初期から浄土真宗の教えは生活に根付いていたのか、実際に「この世界の片隅に」で描かれているのかを探る〈番外編〉コーナー。
①すずさんの実家にスイカが届いたとき、「お供えしようね」という自然な風潮。
②すずさんと周作さんの結婚式は仏前。検証の結果、讃仏偈をお勤めしている。「…無極 如是焔明…(…むごく にょぜえんみょう…)」と確かに聞こえる。
③ニューギニアで戦死したすずの兄(ゆえに遺骨もない)の葬儀が他の戦死者と合同で営まれていたとき、御文章「白骨章」が読まれている。
 以上3場面において浄土真宗の影響は顕著に確認された。
 他にも晴美さんが亡くなった場面に見えたお仏壇も浄土真宗と思しきものであり、特に香炉は横長、つまりお線香を寝かせることを前提にしていると考えられる(要検証)。

2020.11.3~ 【アニメ】連続企画「鬼滅の刃」編


 最近大人気という「鬼滅の刃」。作品そのものをいよいよ見る覚悟が整ったので(個人的に10巻以上のマンガはもう読み切れないので)、アニメ版を第1話から観ていきながら5~6話ずつくらいの所感を現在進行形で書き連ねてゆく作戦です。GAFA系とは契約しておりませんので随時TSUTAYAに通いながらちまちまと加筆していこうと思います。

2020.11.2 自然の中で遊ぶという最高の青春


「リバーランズ スルーイット」(1992年、アメリカ)    「ディカプリオの出世作」(タガタメ)が「タイタニック」であるなら、こちらはブラッド・ピットの出世作。舞台は1910年代から20年代のアメリカ・モンタナ州で、テーマは渓流釣り。元シカゴ大学英文学教授マクリーン(1902-1990)が、若くしてこの世を去った弟との思い出を振り返ったベストセラー小説「マクリーンの川」が原作の物語である。
 アカデミー賞撮影賞を獲得したほどの雄大な自然描写がハイライト。経済大国のイメージが強いアメリカだが、グランドキャニオン、ヨセミテ国立公園など12の世界遺産を誇る世界屈指の自然大国。かつて観ていたNHK「生きもの地球紀行」の締め台詞「また一つ、地球の欠けがえのなさを見つけましたね」が蘇える。次なる旅先ランキングに急浮上。
 かく言う私、釣りに関してはサンプルこそ少ないものの、7時間でワカサギ3匹、あるいはヤマメの釣り堀30分間ヒットなしという痛恨の記憶。トトロのサツキ「魚がよけてる!」状態。のびしろに期待です。

2020.10.17 「家族のための~」が「~のための家族」になることへの警鐘


「家族を想うとき」(2019年、英&仏&白)  イギリスの労働者階級の生活を描き続けてきた ”ほねぶとのヒューマニスト” ケン・ローチ監督の最新作。家族想いのリッキーはマイホームの夢を叶えるため、一念発起して宅配業者の個人事業主に転身する。本作の主題はそこに見える、巨大資本独占時代の悲劇への警鐘である。
 「働いた儲けは全て自分のもの」という美辞麗句も、社会保障、福利厚生、労働組合といった労働者を守る権利は皆無であり、何があっても「自己責任」。上に立つ者の絶対優位で、”フランチャイズ” は生殺与奪を握られている。システムとして直属の上司以上の人間が見えない。人間がいるのかさえも。唯一の味方であるはずの手渡された「ハイテク機器」も、むしろリッキーを監視し駆り立てる「資本側」。科学技術の発展も結局「上の人」の利益搾取を目的かと幻滅する。
 新自由主義という仮面を被った万物の商品化の大波に対して自然的私的心情の砦「家族」はどうあるべきか。人間が人間であるために、タームを使えば「基本的人権として」、両者は少なくとも独立対当でなければならないだろう。

2020.10.12 雄大な北海道を舞台としたロードムービー


「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年、日本)  
 北海道日本ハムファイターズの「We Love Hokkaido シリーズ」2017年度版の期間限定ユニフォームが、公開40周年を迎えた本作にあしらったものであった。 
 …として「しか」知らなかった本作も、夕張市の栄枯盛衰、ひいては日本を支えた炭鉱業への山田洋次監督の想いまで見え隠れする。宮崎駿監督が「もののけ姫」でハンセン病を描こうとしたのと同じように、炭鉱の町・宇部で育った山田監督(←ここ重要)も、この産業のことを記憶として留めたかったのではないだろうか。爽やかな北海道の車窓に映る「重たさ」である。
 もちろん40年前の作品なので、作中の家族観、夫婦像などは目くじら立てず「古き良き」として理解するのも一つである。大抜擢だったという「チャラい」武田鉄矢も、私は熱血教師たる姿しか知らなかったので、こんな過去があったならば3年B組の生徒たちも大喜びに違いない。
PS. 2017年当時の夕張市長はその名を鈴木直道という。どこかで聞いたことのある名前だが、プロ野球球団とのコラボを成功させる程度には政治的手腕のある人物なのかもしれない。(→2020年2月28日、北海道に「緊急事態宣言」発令)

2020.9.22 「未来を予測する」という人類の夢


「ラプラスの魔女」(2018年、日本)
 本作を貫くモチーフは、フランスの数学者ラプラス(1749-1827)が提唱した、「世界中の全ての物質の物理法則を予測できるならば、未来を完全に予測できる」とする知性「ラプラスのデーモン」。誰しもが羨望する、「未来予測」という知性。
 作中、その実現を目論む脳科学研究者が登場する。しかしこれは大袈裟に言えば科学の名の下の「人間改造」である。あたかも視聴者に問うかの如く、研究者倫理研究成果が天秤にかけられ揺れ動く描写が印象的である。施術という個人への倫理と知性創出という人類への倫理、双方への問いかけ。未来予測ができる知性は、もちろん人間が未熟で未完全な存在であるために悪用もされるであろう。人を凶悪犯にもする。
 「もし未来が見えるとしたら知りたい?」「やめときます」―未来が分かることは夢がなくなることでもあるとして本作は終わる。私も、知らなくてもいい、と思う。

2020.9.20 戦争にまつわるポリティクスとメディア


「大いなる陰謀」(2007年、アメリカ)
 大統領への野心を抱く保守系鷹派のアーヴィング、リベラルな記者ロス、政治学教授マレーの物語。アーヴィング(トム・クルーズ)側の好戦のロジックを描く点が特徴的。「アメリカに対する脅威、我々の敵は彼らだ」ゆえの国内団結を意図。イランとイラク、シーア派とスンニ派という犬猿が手を結ぶ、アメリカを倒すために――という前提での軍事作戦。
 一切怯まず追及する記者、緊張感と模索。と思いきや、リベラル派の記者でさえ、スクープという一見価値中立の仕事によって国民を駆り立てているという論調を示すアーヴィング。「 ”我々は” 兵士を死に追いやった」。「プロパガンダ担当」記者の良心の呵責。
 マレーに仮託されたのは「市民」としての「現実」との向き合い方。全体として難易度は高い…(笑)マイケル・ムーア「華氏911」&「華氏119」の論点も入っており、そちらも参考になる。

2020.9.19 札幌を舞台としたストーリーが突きつける、いくつもの問い


「こんな夜更けにバナナかよ」(2018年、日本)
 「入院しなければ命の保障はありません」「医者の言う「命の保障」って何なんだよ!」 命という「生老病死」を定められた私たち。生き方を問う、重たいものを突き付けてくる作品。
 筋ジストロフィーを発症し、徐々に全身の筋肉が衰えてゆく鹿野を主人公とするノンフィクション。理解しがたいことに、心配する母親をいつも突き放す鹿野、裏には「甘えたら介助以外何もできなくなる、親には親の人生がある」という論理があった。今日的には、これを尊重するには公助→自助という順序でなければならないという行政(福祉)のあり方も示唆される。
 主演は「青天の霹靂」でも魅せられた、自然な大泉洋。ちなみに本州でも耳にする大人気番組「水曜どうでしょう」だが、朝練中心の大学生伊東順真は観たことがない。

2020.9.17 個人の問題に矮小化させるべきでない大きな問題


「スキャンダル」(2019年、アメリカ)
 正直、予告を見た感じでは、内部告発を主題としたスリリング作品の側面が強いと思っていた。しかしそれは大きな誤りであった。権力暴力を含んだ性暴力がいかに人間の尊厳を蹂躙するか。被害者は人にも言えない。言うことができない。どれだけ絶望的であるか。大きなショックであった。
 いじめと同様、「ない」と主張するのは簡単である。この問題を映画として扱うことの難しさ、勇敢さ。「権力」とは関係性ゆえに発生するものであるため、大きな組織の小さな個人が受ける「暴力」は見えにくく、そこに個人間の「性」の利用、消費を目論む、極めて悪質な暴力である。
PS. 本作の解説版に位置すると言えるのがYouTube「せやろがいは伊藤詩織さんを支持する」。国は違うが、問題の本質は変わらない。

2020.9.16 現実味多め、怖さ少なめ、つまり優秀なミステリーサスペンス


「9人の翻訳家」(2019年、フランス&ベルギー)
 世界的なベストセラー小説の最終巻を、各国語への翻訳版と同時に販売する。そのため原文の流出を避けるべく、翻訳家は完全隔離の下で行われる――一見ありそうな前提。実際にダン・ブラウン『インフェルノ』出版時にあったとかなかったとか。この点、現実味、没入感はグッド。
 主題は著作権人間創作、そういうものの基本的権利基本的人権の重要さ。人文学における拝金主義への批判。ネタバレ早いと思ったが、その「ネタ」さえもネタであったという結末、でもインパクトは前者の方が強し。途中で翻訳家が二人死んでしまうというのは、良くも悪くもサスペンスぽい。(肝心の私はちょうど洗濯機に気を取られており、最もサスペンスらしい場面を見逃してしまった)

2020.9.13 二つの世界の交錯―ラストシーンは ”人為的構造的” 産物「格差」への怒りか


「パラサイト―半地下の家族」(2019年、韓国)
 1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と言わしめた日本、その隣国もまた、後を追うように「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げていた。アジアとアメリカを繋ぐ物流・交通の要衝となり得る立地を、成田闘争、羽田の国内化→再国際化など後れを取る<日本>に対して世界水準の仁川国際空港(航空貨物世界3位)並びに釜山港(港湾取扱量世界5位)を整備した韓国は、その首都ソウルにおいて世界的な金融・経済都市としても急発展を遂げている。
 本作の舞台はそのような「輝かしい」ソウルである。もちろんこの「輝かしさ」は幻想である。「一億総中流」のモデルは過去のものとなり、貧富の格差は拡大しグローバル富裕層ローカル貧困層という二つの経済世界(マーケット)が不気味にも一都市に併存、こうなると両マーケットは歩み寄る必要もなく、更に格差拡大へという悪夢のような現実である。本作は両層を少し近づけて描いたに過ぎない。作中の大雨が両層に与える打撃、そのコントラストも現実である。一つ、グローバル富裕層は、ローカルで貧困な労働力なしには「富裕」たりえないことを忘れてはならないだろう。

2020.9.12 「国体ヲ変革スルコト」の学校版


「ブラック校則」(2019年、日本)
 歴史の授業で目にしたことがあるかもしれない冒頭の文言は1928年改正治安維持法より。現在進行形の自分の研究関心から、北一輝、大川周明がチラチラ。学校という共同体の「国体を変革する」こと。まずは校則という法律の合法的変革を期すも、うまくいかない。相手は権力者であるから当然である。そこで学校自体の変革へ路線変更。このとき、非合法として、トップから(エリート革命)か、ボトムから(民衆革命)か。当然、国体の国民(学校の生徒)も一枚岩でなく、うまくいかない。そこで成し遂げられなかった目的を果たすために超法規的状況を作る。そして肝心の権力との対峙、ここでは権力側のタブーを人質に、でもこれではお互いの緊張をより高めるだけになりそう…。
 個人的には「非合法クーデター」より「合法的ストライキ」を採りたいかな、ゆえに「僕らの七日間戦争」に軍配。

2020.7.4 私たちの住んでいる世界は当然、簡単には理解できない、割り切れない


「もののけ姫」(1997年、日本)
監督:宮崎駿
音楽:久石譲
声優:松田洋治、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、美輪明宏、森繁久彌など

○おススメ度:★★★★★
○面白い度: ★★★★★
○東京都北区弓道連盟による「弓」の監修のしっかりしてる度:★★★★★

 映画館でジブリの作品が上映されていると聞き、我が宇部市が誇るシネマスクエア7に行ってきた。もちろん、鑑賞したのは表題の通り「もののけ姫」である。…

2020.6.17 2020年、夏、熊本


Mr.Children DOME & STADIUM TOUR 2017 Thanksgiving 25(【YouTube】、2020年4月18日公開)
公演日時:2017年9月9日
公演場所:熊本県民総合運動公園陸上競技場

○セットリスト:★★★★★
○演出:★★★★★
○プレミア度:★★★★★
○途中で広告入らないの素晴らしい度:★★★★★

 4月18日、YouTubeに革命が起きました。「誰かが予想しとくべきだった展開」!なんと、愛すべき、そして愛されるべきMr.Childrenのライブ映像が無料公開されたのです!…

2020.2.24 軍民(官民)の癒着という古くて新しい問題


「アルキメデスの大戦」(2019年、日本)
 数学で戦争を止めようとした、というお話。戦艦大和建造の目的は、国民の戦意喪失を意図して、敢えて作り、轟沈させるという説明を紹介。ただ、比較的現実感覚のあった海軍といっても、それほど冷徹(同時に冷酷)たりえるかは疑問。官民の癒着権力闘争大蔵省からの予算の奪い合いが国を破滅に導いたとする結論に。
 主人公に関して、いくらその頭脳を認められたとしても、階級社会の軍部においてあれほど盾突くことはできなかったのではないか。加えて日常生活までマニアぶりを発揮していたことも、やや誇張に過ぎる気がする。
 それでも終盤の二転三転は予想しておらず、ダイナミズムがあって良かった。

2020.2.2 人類が長い時間をかけて獲得できた価値「表現の自由」について


「図書館戦争」(2013年、日本)
 リメイク版映画「華氏451」(2018年、アメリカ)からの流れとして、本作を鑑賞。ただ「リアル」に欠ける点は否めない。今日的な行政による実際の検閲はもっと隠微な気もするし、それに対する図書隊もこれほど銘打ってはできない気もする。
 検閲隊が国家暴力装置としてどこに位置づくのか分からないが、いずれにしても市民に銃を向けることを国家権力自体が容認するのだろうか。おそらくメディア統制はテレビから、それも素知らぬ顔をしながら、あからさまな図書統制は最終局面だろう。それでも日本国憲法第21条の価値(表現の自由、検閲の禁止)を、体感として示したことは大きい。
 果たしていつの日か「Junshinの部屋」にも検閲は来るのだろうか。そうなったら岡田くんに守ってもらうしかない。

「チャンネル」と銘打ってますが、YouTuberになりたいわけではありません。でももしYouTuberになるなら、最初の動画はもう決めています。それは「乾杯から、焼酎を飲んでみた」。ビールを期待していた喉の葛藤と苦悩をお届けします。その次は「宇部から萩まで歩いてみた」。萩に着いた後のやまざき屋のかき氷を楽しみに、道中ののどかな景色をお送りします。
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