蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

仏にまもられるとは



 まもるといふは、
 異学・異見のともがらにやぶられず、
 別解・別行のものにさへられず、
 天魔波旬にをかされず、
 悪鬼・悪神なやますことなしとなり。
      (親鸞聖人『一念多念証文』)
 「仏にまもられる」というと一般には、病気がなおったり、災難に遭わなかったり、不幸から逃れたりそんな受け取りが多いようです。しかし親鸞聖人は物理的なあるいは現世利益的な意味で用いられません。他の宗教や仏教の異なった考え方(他派)からの非難にも破られることはなく、天魔や悪鬼というようなものに恐れる必要はないと示してくださいます。如来さまから金剛の信心いただきお念仏するものはどんなものからも妨げられることのない生き方が恵まれるというのです。

浄土とは願土

 
  願土にいたればすみやかに
  無上涅槃を証してぞ
  すなはち大悲をおこすなり
  これを回向となづけたり
      親鸞聖人『高僧和讃』
願土とはお浄土のこと。阿弥陀さまの願いによってできた仏国土、十方衆生すべてのいのちを仏にさせたいという願いに満ちあふれる国土です。ですから浄土に生まれたものは直ちに仏と成るのです。この上ないさとりを開き大悲心をもってあらゆる人を導く身にさせていただくのです。

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