蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

いのち見つけた

いのち見つけた
作詞 伊東順浩 作曲 折込正一郎
いのち見つけた ほんの小さな息づかい
精一杯 生きる姿に 涙がこぼれた
  とてもとてもうれしいことがあった時 
  心はずむ笑顔のボクに
  「私もこんなに幸せ」と 
  鳥は一緒に唄ってくれた

  つらく悲しい出来事から逃れるように
  うつむき加減に歩いてるボクに
  「私と一緒に泣こうね」と
  花は静かにささやいてくれた

いつもどこかで優しく支えていてくれるから
いつだって自分なりにこうして前を向いてる
 人に向かって自慢げにふるまいながら 
 少し天狗になっているボクに
 「ほんとにそれでいいのか」と
 大樹は優しく包んでくれた

 自分がほんとに情けないとつぶやきながら
 生きることに疲れてるボクに
 「私もここに生きている」と
 虫は輝きを教えてくれた

いつもどこかで必ず見つめていてくれるから
その想いに応えたくてこうして前を向いてる
その想いに応えたくてこうして前を向いてる
いのち見つけた ほんの小さな息づかい
精一杯 生きる姿に 涙がこぼれた

キ  ジ



 春の野に
  若菜摘みつつ
   雉の声
    きけば 昔の
    思ほゆらくに
        良 寛
桃太郎をはじめ多くの昔話に登場する鳥です。オスは尾が長く、全長80センチにもなります。「頭隠して尻隠さず」ということわざは、キジが草むらに隠れたつもりになっていることに由来しています。

オクラ

 今朝もまた
   オクラの花の
     柔らかさ
   はなびら五片 
   陽に染まりたり
         白桂


アフリカ原産の植物。日本には明治初めにつたえられた。今では馴染みの夏野菜。熱帯では一年中栽培されるが、10度以下では育たないため日本では夏から秋の一年草である。花は夜から早朝にかけて咲く。

キュウリ

 大きな葉に守られるように黄色い花をつけています。これは雌花で花の下部にはすでに小さな実が準備されています。
 キュウリの語源は「黄瓜」熟すと黄色くなるからでしょう。江戸時代までは黄色く熟したものが食べられていました。苦味がありあまり美味しくなかったようで水戸光圀(黄門さま)は「毒多くして能なし」と記しています。緑の未熟な実が食べられるようになったのは品種改良が進んだ江戸末期からです。また「きゅうり」と表記されるようになったのは昭和になってからのようです。



 漢字では「胡瓜」と書かれます。これは中国からみて西方の国(胡)から伝わってきた瓜という意味からです。他にもシルクロードを通り西方から伝えられたものに胡桃、胡椒、胡麻などの名前がついていますね。キュウリの原産地はヒマラヤ山麓の北西インド。仏教と同じようにシルクロードを経て伝えられてきたものです。

ニワゼキショウ


 濃き日ざし
   庭石菖を
    咲き殖す   
      
      植村占魚


1cm~2cmの薄紫紅色のとても愛らしい花を咲かせます。庭などの芝生や草地に生え、葉の形がショウブの仲間のセキショウ(石菖)に似ているので庭石菖(ニワゼキショウ)と呼ばれます。アメリカから明治期に渡来し、今では各地の芝生に野生化して生えています。

クサイチゴ

  その家の 
  背戸はたゞちに 
      河原なり 
    野苺の実は 
    紅かりしかも
         太田水穂
初夏、一番身近かに、早く実る野イチゴです。酸味が少なく甘く美味しい、真っ赤な野の宝石です。茎には小さい刺がたくさん、うっかり手を出すと、痛い目に遭います。でも美味しいイチゴです。


アリ

 蟻が 歩いている
 蟻は 思う
 ちいさな 自分のことなど
 誰も見ては いないだろう

 蟻は見られている
 僕が見ている
 蟻に限ったことじゃない
       東 君平


全世界には12,000種、日本には280種類のアリがいるそうです。境内にもたくさんのアリがいます。写真はクロオオアリ。カメラを向けても懸命に働いています。 ありは私に見られていることに気づいているのでしょうか。私たちもそうかもしれません。

ツバキ



 だれだろう
 こんな固い実を
 割ったのは

 だれだろう
 草や花や木や実や
 空や鳥や魚に
 色をぬったのは

 私はふしぎなところに
 うまれた
     星野富弘
 実が固いところから、「かたし」と呼ばれます。私は幼い頃、どちかというと少しすこしのばして「かたーし」と呼んでいました。実が固いので、道に打ち付けて割り、中の黒い実をセメント土間などで削って中の実を取り出し、笛にしてピーピーならしていました。実からとれる貴重な椿油は鬢付油や食用として利用されています。伊豆大島や五島列島の椿油が有名です。

カシワバアジサイ

 
 雨に濡れ
 うつむき加減
 白い花房を傾け
 自然の声を聞く


カシワバアジサイは、北アメリカ東部原産。柏の葉に似た葉が名の由来です。花房は円錐形、まるでピラミッドのようです。そのため、別名ピラミッドアジサイとも呼ばれています。秋の紅葉も美しい。

コバノミツバツツジ


 花が咲く
 空から降ってくるように
 大地から湧いてくるように
 喜びのように
 痛みのように
 中国地方の里山に他に先駆けて花開き、春の訪れを告げてくれます。葉は三枚一組、花は雄しべが十本あるのが特徴です。ミツバツツジの中でも葉が小ぶりであるためこの名があります。


モウソウチク



 見えないところで
 ひとつながりに
 つながりあって
 生きているのは
 竹藪の竹だけではない
         東井義雄
母のために寒中に筍を掘った中国呉の人物、孟宗にちなんで名付けられました。中国原産。十日間のことを旬といいます。十日間(旬日)には竹になってしまうことから「筍」と字があてられます。

さざんか


 さざんか さざんか 
      咲いた道
 たき火だ たき火だ 
      落ち葉焚き


サザンカは漢字では「山茶花」。読みは「サンサカ」と読んでいたものが「サンザカ」となまり、やがて言いやすいように音が入れ替わって「サザンカ」と言われるようになったのだそうです。
 ツバキの仲間ですが、サザンカの葉はツバキに比べて小さく、葉の縁にはギザギザがあります。葉の裏の葉脈や枝には毛が生えています。ツバキは、花が丸ごと落ちますが、サザンカは花びらがバラバラに散ります。晩秋の花の少ないときに、多くの花を咲かせます。蓮光寺の中庭には白いサザンカがあります。境内が紅葉に染まる頃と重なるので紅葉に目が奪われがちですが、庭の真ん中で清楚で美しい花を咲かせています。今年はたくさんの花をつけました。

テキスト

「ホ、ホー  ホッホ、ホホー」フクロウの声が聞こえた。蓮光寺の裏山にからだ。フクロウがいるんだ。視力は人間の百倍、聴力は人間の三倍。暗い中でネズミや昆虫などを捕獲して食べています。

うちのおばあちゃん 
森のフクロウ
花や草の言葉 わかるんだ
うちのおじいちゃん 
森のフクロウ
風と空と 話せるんだ
        柚梨 太郎


ハクサンイチゲ


夏山を代表する高山植物です。茎の途中にえりまきのような柄のない葉がつき,そこから数本の茎が伸びて真っ白な花をつけます。高山の湿り気のある草原で大きな群落をつくり、一面に咲き乱れる光景は大変美しく、高山のお花畑の代表とも言えます。名は、石川県の白山にちなむものです。

サンカヨウ

 北海道をはじめ本州中部以北の山、西日本では高山の森の道に美しく咲く花です。漢字では「山荷葉」と書きます。「荷葉」とは「はすの葉」のこと、つまり、山の蓮という意味です。蓮やフキに似た形の葉が大小二枚。小さい葉から伸びた茎の先に二センチほどの白い花を数個つけます。葉の上に花が乗っているように見えます。六枚の花びらと黄色いおしべがとても愛らしい素敵な花です。花の後には、濃い青紫色で白い粉を帯びた実をつけます。




 白い花は雨にぬれると透明になります。まるでガラス細工か、氷でできたように美しく透き通ります。雨が降ってくれた方が山歩きが楽しくなる、そんな気分にさせてくれる花です。

ヒトリシズカ

清楚で、ひっそりと野に咲く。静御前の舞姿に擬えて名付けられました。義経と静御前の吉野山での別れにちなんで「吉野静」とも呼ばれます。光沢のある輝く葉にとともに美しく咲いています。

藪陰に
ひっそりとしてすがやかに
 一人静の花咲きました
        
         鳥海昭子


イワウチワ


イワウチワ
 春の使者とて咲き出ずる
  愛しきいのち
     うちふるえるを  
         鳥海昭子


学生時代、京都北山で斜面一面に淡い紅色の花をつけたイワウチワの群落に出会いしました。光沢のある固い円形の葉の間から茎を伸ばし、淡い紅色の花を少しうつむき加減にに1輪つけます。

チャ



  藪陰に 
    茶の花咲きぬ 
        寺の道
       
        正岡子規
 中国西南部、東南アジアからインドの原産です。日本では鎌倉時代から茶の栽培と喫茶の習慣が広がり、野生化しているものもあります。ツバキやサザンカの仲間で、小さな白い花をつけます。

ミヤマカラスアゲハ

九重の男池の湧水池で青緑に輝くミヤマカラスアゲに出会いました。深い山の渓流沿いで見られます。黒い翅の中の緑や青の金属光沢がいっそう際立ち、まるで宝石が飛んでいるようです。


 木々の間を
 美しく舞い
 宝石のように飛ぶ
 どんな画家も
 決して真似できない
 高貴な色に輝いて飛ぶ

キジバト

山鳩はキジバトの俗称。群れをなす公園のドバドではない。せいぜい2羽ぐらいで生活する身近な野鳥。背中にオレンジ色のウロコ模様、首にバーコード模様がある。この暑さの中日光浴をしていた。
 わが眼路の
  遠き日ごとに
 山鳩は
  さびしきうたを
    送りこすかも
        宮沢賢治


ナツツバキ


  白たへの 
    沙羅の木の花 
  くもり日の 
   しづかなる庭に 
     散りしきにけり
         斎藤茂吉


落葉するツバキの仲間、涼しげな風情が好まれてきました。真っ白な花は、汚れを知らないまま一日で花の命を終え散ってしまいます。無常を感じさせるさせる花として、沙羅の花とも呼ばれます。
お釈迦様は沙羅双樹のもとで涅槃に入られましたが、その折、時ならぬ白い花を咲かせたと伝えられます。インドの沙羅とは異なりますが、日本ではこの木を沙羅の木にあてて親しんできました。蓮光寺の裏庭のナツツバキ、今見頃を迎えています。

シャクナゲ


 石楠は 寂しき花か谷あひの 
        岩垣淵に 蔭うつりつつ   島木赤彦
シャクナゲはヨーロッパから伝えられ、品種改良された園芸種がよく庭に植えられますが、野生のものは日本ではかなり標高の高い山に自生していています。アルプスなどの高山植物に混じって咲くキバナシャクナゲ、東日本の高山にはアズマシャクナゲ、西日本の高山に咲くツクシシャクナゲなどがあります。
 
九重連山も五月には黒岳をはじめ大船山、三俣山などで美しいシャクナゲに出会うことができます。樹林の木の間に少しかくれるように清楚な気品ある花です。花の一つ一つを見るとツツジの仲間であることがわかります。葉の大きな常緑のツツジです。高山の樹林に咲いています。あえぎながら登った山で出会うと神々しい印象を受けます。


ショウジョウバカマ

猩々とは中国に由来する伝説上の動物です。人のような姿で、髪は長く赤く、大酒のみとされています。能の演目に「猩々」があります。 親孝行な若者と酒を酌み交わし、祝福の舞を舞いながら、海中へと帰っていくというストー
リーです。その猩々の赤い髪に花が似ていて、葉っぱが袴のように広がっていることからショウジョウバカマという名がつきました。低地では早春に咲きますが、山に登ると五月でも湿地や渓流のそばの斜面に花を咲かせています。


アカヤマタケ

出講からの帰り道、サービスエリアの脇の茂みで美しいキノコに出会った。アカヤマタケ。わずか2センチほどの小さいキノコだがとても美しい。公園や庭先でも出会う身近なキノコ。

 木漏れ日差す森
 緑のじゅうたんに
 妖精が傘を広げた
 森の中が明るくなった

 


ギンラン


 蓮光寺の裏山の一角、やや薄暗いシイの森に咲きました。ランの仲間で、たおやかな薄緑色の葉と茎のいただきに純白の小さな花、清楚に凛と咲いています。「おとなしい貴婦人」と言われることがあります。
 樹木の根に共生する菌根性の菌と共生しています。つまり樹木と菌根菌とギンランのこの三者がともに栄養を補完し合って生きているのです。ですから移植して育てるのは不可能なのです。美しさ故に乱獲され、少なくなってしまったのは残念です。山口県でも絶滅危惧種2類に指定されています。見つけたらそっと眺めるだけにしましょう。

ルリビタキ


  青い鳥 小鳥
  なぜなぜ青い
  青い実を食べた
      北原白秋


枯れた竹や薮刈りをしていたら美しい青い鳥がやってきた。ルリビタキだ。夏は高山にいる鳥だが、冬はこんなそばにいる。青い鳥御三家はオオルリ、コルリ、そしてこのルリビタキ。

シロバナタンポポ

境内の一角にシロバナタンポポが咲き始めた。日本には外来種のセイヨウタンポポも多いが、これは日本に古くから咲いている在来種だ。およそ100の舌状花が集まりひとつの花になっている。
 野に咲く花だって
 何度踏まれても
 夢中で何かを探している

 雨にも風にも負けない
 タンポポのように
       高見沢俊彦


ヒラタケ

テキスト


境内のフジの木にキノコが生えた。ヒラタケだ。スーパーにも栽培したものが並ぶキノコだが、自然に生えたものは大きさも、味もやはり上。今日は何の料理に、鍋かな、楽しみだ。

ミズヒキ



  あるかなきか
  茂みのなかに
  かくれつつ
  水引草は
  紅の花もつ
        九条武子
薮陰などにひっそりと咲いています。秋の野にもお祝いの水引がかけられています。これほど風に敏感な花はないでしょう。わずかな空気の流れをも感じ取り、喜びにひたって揺れています。

ナラタケモドキ

門前の参道の枯れたモミジの切り株に株立ちになったキノコ。掃除中に見つけた。ナラタケモドキというキノコだ。これは食べられるキノコ。さっそく味噌汁に入れて食べた。おいしかった。


  まだ雨は降らないかな
  雨が待ちきれず
  森の妖精たちは
  集まって
  みんなで傘をひらいた
  雨よふれ

シロタマゴテングタケ

 本堂の裏庭、モミジの根方に大きな真っ白なキノコが生えた。シロタマゴテングタケだ。遠くからでもよく目立つとても美しいキノコ。このキノコは1~2本食べると必ず死に至る猛毒。おなじ仲間の真っ白いドクツルタケ、タマゴテングタケとともに猛毒御三家とよばれる最も毒の強いキノコです。
 人間にとっては毒ですけれど、菌根性のきのこは樹木と共生しています。樹木には無くてはならないキノコなのです。キノコは森を作っている縁の下の力持ちです。
 2日後、見に行ったら新たに12本生えていました。モミジを取り囲むように菌輪を描いて見事です。感動です。いのちが支え合いながら蓮光寺の裏山を作っているのだと感動しました。
 キノコよりもっともっと怖いもの、殺し合い、戦争したり、他の種を絶滅させたり正義の為にまで人を殺す、一番怖いのは私たち人間なのでしょう。


トマト

花は美しい黄色。花を見るとジャガイモもナスも同じ仲間とわかります。今、華やかなアジサイのそばで、控えめにうつむいて、でも美しい清楚な花を精一杯咲かせています。


 トマトがねえ
 トマトのままでいれば
 ほんものなんだよ
 トマトをメロンに
 みせようとするから
 にせものになるんだよ
       相田みつを

ダイコン



 行く春や
  大根の花も
    菜の花も

       子規
ほんのり紫がかった白い清楚な花、春の七草スズシロ(清白)の名にふさわしい。大根の原産地は地中海沿岸。紀元前2200年ごろのエジプトで栽培記録がある。私たち人間と大古から縁のある植物だ。

ジンチョウゲ

沈香や丁子のような気高い香りがということから沈丁花とよばれます。遠くまで香りが届き、花の姿を見るより先に匂いで知ることがしばしばです。花のそばにいると尊い香に染められそうです。


 誰にでも
 やさしい言葉が
 かけられそうな気がする
 沈丁花の香り
 ただよってくる朝
        星野富弘 

シ イ

 蓮光寺本堂の裏山にはシイの木の森があります。開発が進んだ厚南では数少ない自然の森です。秋が深まってくると黒い実がたくさん落ちてきます。自然のシイにはスダジイ、ツブラジイがありますが、蓮光寺のシイは実が小さく丸いツブラジイ。シイを拾ってはポケットに入れ、生で食べていました。もちろん煎って食べるとよりおいしいのですが。風が冷たくなるころ、いつも父は拾ってきては食べていました。


 シイは縄文遺跡からも見つかっており、人々の大事な食料でした。万葉集にも読まれる親しみのある植物です。西日本ではシイの森は極相林として知られます。極相林はその気候において最終的にたどり着く森林のことです。極めて安定的で豊かな森であり、様々な動植物が相互に作用しあって、持ちつ持たれつの相利共生の関係を保つ究極の森のことを言います。北日本や日本海側ではブナの森、南西日本ではタブやシイの森がこれにあたります。

ウスヒラタケ

     ゆずる

 老いて枯れたブナの木に
 無数のキノコが並んでいる
 枯れてなお
 いのちをゆずっている
        伊東昌昭
九重の黒岳への登山道。ブナの倒木にウスヒラタケがびっしり生えていた。ブナは枯れてなおいのちをキノコに受け継いでいる。持ち帰って食べようかとも思ったが、写真にだけおさめた。


ゴゼンタチバナ

  山登りにはいつも
  真っ先に迎えてくれる
  清楚な花
  秋には真っ赤な実が
  私たちを
  楽しませてくれる


秋には真っ赤な実を付ける。白山の最高峰を御前峰という。そんな高山の橘ということでこの名がある。花はハナミズキやヤマボウシを連想させるミズキ科の仲間。高い山の登山道で必ず会える花。

カ  キ                    5月25日 蓮光寺境内


秋の実った柿はよく目立つが、花は地味である。花びらは小さな黄白色。控えめにうつむいて花開く。飾りをいっさい捨て去って目立たず、ひっそりと自己主張もせず静かに咲いています。

 花らしい飾り気を捨てて
 柿の花とはなりました
 柿の花は
 亡き母が咲きにきたのです
         蓮下義昭

シャクナゲ                    5月6日   蓮光寺境内

 ひかり染む
   やまふかくして
      咲きにけり
  石楠の花
   いはかがみのはな
         茂吉


花の一つ一つを見るとツツジの仲間であることがわかります。葉の大きな常緑のツツジです。高山の樹林に咲いています。あえぎながら登った山で出会うと神々しい印象を受けます。

アヤメ (白)                   5月13日   蓮光寺境内

 蓮光寺山門を入ったところに小ぶりながら毎年白いアヤメが咲く。前日の雨にぬれ、天からの宝石をまとっているようで清楚で美しかった。
 アヤメは紫や白があり葉も細い。花びらの付け根の網目模様=文目がアヤメの由来だそうだ。水辺でないところに咲くのも特徴だ。ちなみにカキツバタは水辺に咲き花びらの根元に白い筋がある。
白いあやめ
鶴のくちばしのやうで
開くとひと声たかく啼き立つ

白いあやめは
あかつきに開いて
誰にも開いたところを
見せたことがない
誰も見たことがない

白いあやめ
あやめの花
     (室生犀星)


イロハモミジ


11月中旬から蓮光寺の境内は紅葉が始まる。特に赤く鮮やかな色となるのがこのイロハモミジ。葉は四〜五㎝、深く切れ込みが入り五から九にわかれる。この葉の切れ込みを「いろはにほへと…」と数えたところからイロハモミジといわれる。紅葉の代表種だ。
 平成元年の御門主さまのご巡教をきっかけに、本堂裏にあったイロハモミジの実生を次々と前住職が植えかえ、境内にひろげた。今ではおよそ二百本にものぼる。

シャガ

シャガとは変わった名前。射干、著莪などとあてられます。射干とはヒオウギの漢名で、葉が似ているから間違って名付けられたと言われています。古い時代に中国から渡ってきた帰化植物です。


花は精一杯咲いても一日のいのち。そして悲しいかなどんなに虫が訪れても実がつかない。だからこそ古代の人はそれを愛おしんで日本に伝えたのかもしれない。人家近くの暗い森や薮に花を咲かせる。

タツナミソウ

花が同じ方向に並んで重なって咲く姿が、寄せてくる波が立つようなさまに似ているからタツナミソウ(立浪草)と呼ばれます。特別に目立つ花ではないけれど、草として抜くにはちょっと惜しい気がします。境内の庭石の間に咲いていました。



ドウダンツツジ

 ドウダンとはトウダイ(灯台)が転化したものと言われます。灯台と言っても海の岬にあるものではありません。灯明台、あかり取りのことです。すっと伸びる枝が枝分かれしている様子が、結び灯台というの脚の姿に似ているところからこう呼ばれるようになったようです。ですから白い鈴のような花は灯台からこぼれるほのかな灯りでしょう。また、鈴なりに咲く真っ白な花から満天星という別名もあります。




秋にはモミジに負けないほど真っ赤に落葉するところも個性的です。
 九重などの高山に行くとベニドウダン、サラサドウダン、ツクシドウダンなど赤や薄紅のドウダンもたくさん咲いています。見上げるほどの高い木になるのもドウダンならではです。

ノビル



  野蒜掘れば 
    強きにほひや
       暮の春

       松本たかし
野の蒜。「蒜(ひる)」とは、かむと辛くて「ひりひり」する意味で、ニンニクやネギなどの仲間を総称して言います。さっと湯通しして味噌で食べると美味しい。春が口いっぱいに広がります。

カラスウリ


 いい便り
 ありそうな日の
 カラスウリ
    手のとどかない
    高みに赤し  
        鳥海昭子 


秋晴れの穏やかな日、散歩道で真っ赤なカラスウリを見つけた。ほかにも何かいいことがありそうな、そんなわくわくする気持ち。でも、ほしいものに限って、手の届かないところにあるのです。

ヤマジノホトトギス

 花びらに紫色の斑点があり、それが鳥のホトトギスの胸の斑点に似ているのでこの名がついた。山道に咲くヤマジノホトトギスはひかえめな色づかい。花、おしべめしべは不思議な形だ。

 メリーゴーランド?
 宇宙船?
 イカ?
 噴水?
 星?
 野に咲く美しい花


ヌスビトハギ


 日野の法界寺
 幼い親鸞聖人も拝まれた
 阿弥陀さまが静かに坐す
 境内には秋の野の花が
 ひかえめに咲いている


いわゆるヒッツキムシの一つ。くっつく実の形が盗人の足跡に似ているからこんな名だとか。山道を歩いているとこっそりちゃっかり音も立てずに服についてくる。盗人らしい。花は愛らしい。

ライチョウ


ライチョウは氷河期からの生き残り。日本にはおよそ1800羽しかいないそうです。足は寒さに耐えるよう毛がフサフサ。まるでウサギの足のようです。一年の大半が雪に覆われる高山の鳥です。
 登山道で
 ライチョウに出遇った
 厳しい環境こそが
 我が生きる道
 俗を離れた孤高の姿は
 神々しいほどであった

ナンテン


 南天や 
  米こぼしたる
     花のはて

     横井也有


冬の真っ赤なナンテンの実は誰もが注目します。でも梅雨入り頃から咲く花にはなかなか気付く人は少ない。お米のようなつぼみがぱっと開いて黄色いおしべがかわいい。葉にはわずかの毒があるのですが、危険性はほとんどなく、それがかえって食べものの防腐の効果があるとして、弁当や赤飯などに彩りをかねて使われます。

ツクシドウダン

 枝分かれするのが
 燈台のゆらいなら
 小さな釣り鐘のような花は
 それからこぼれでる
 明かりそのもの
 私の心を照らしてくれる
 たくさんのあかり


久住の登山道で見つけた。愛らしい釣り鐘のような美しい花。ドウダンとは灯台がなまったもの。灯台と言っても昔の明かり、灯明台のこと。枝分かれしている様子がその灯台に似ていたからだとか。

カラスノエンドウ

スイートピーよりはずっと小さいけれど、すぐそばでピンク色の美しい花を咲かせています。今では雑草としてしか扱われませんが、古代には地中海沿岸で栽培され、食用にされていた豆です。
  小さな豆は
  おままごとを
  思い出す
  小さな豆の
  笛の音は
  子どもの頃を
  思い出す


タチツボスミレ


 薄い紫に
 オレンジのめしべが
 アクセント
 ちょっぴり自然に近い
 あなたのすぐそばで
 咲いています
 
スミレの名は大工道具の墨入れ(墨壼)から来ている。スミレはおよそ300種、黄、紫、白と色々、高山から家のすぐそばまで。このスミレは茎が数本株立ちになるところからタチツボスミレという。

エノキタケ

 
 冷たい雨もうれしい
 これからが出番だ
 色も形も違うって?
 びっくりしたかな
 でもこれが本当の僕なんだ
 


冬のキノコ、エノキタケがはえてきた。スーパーで見るあの白いひょろ長いのとはちょっと違う。大きなものでは傘の径5センチにもなる。これが自然に育ったものだ。味も良し。

ツワブキ



 いくたびか
 時雨のあめの
 かかりたる
 石蕗の花も
 つひに終はりぬ

   斎藤茂吉
「艶のある葉の蕗」から、ツヤブキが転じてツワブキと言われるようになりました。石蕗とも呼ばれます。ツワブキは晩秋に背丈の高い茎に黄色い花を咲かせます。冷たい雨に濡れ、葉も輝いて、美しく咲いています。祖母(前々坊守)は輝いた葉とこの花が好きで、よく庭に植えていました。今年も境内のあちこちで黄色い花が咲いています。

ミゾソバ

 溝にはえるソバのようなということからミゾソバ。ソバに姿かたちが似ている。花はいくつか集まって咲く。薄紅にほんのり染まってはじけんばかりに咲くさまは、金平糖を思わせるように愛らしい。葉は牛の頭のような形をしているところから「牛の額」(ウシノヒタイ)などと呼ばれることもある。
 いちめんの
 ミゾソバ咲けり
 おもいでは
 透明にして
 こんぺとうの花 

    鳥海昭子 


ムラサキシキブ

 ムラサキシキブ(コムラサキ)が色づいた。漢字では紫式部。しかしもともとの語源はムラサキシキミだそうだ。シキミとは「茂き実」つまり「たくさんの実」の意味だ。紫色に色づいたたくさんの実のなる植物という名だ。それがいつから紫式部、清楚に色づく姿を平安貴族になぞらえるようになった。


 朝晩の涼しさが
 小さな実を
 紫に染めた
 いにしえの
 恋物語を思わせる
 淡い清楚な色に

アブラゼミ

 いよいよ
 大空を飛べる
 今日から
 新しい
 生活が
 はじまるんだ


朝、ラジオ体操をしているそばの樹にアブラゼミが羽化をしていた。多くは夕方から夜中にかけて羽化をするとこが多いが、明るくなってから新しい羽を伸ばしていた。朝陽を浴びて白い羽根が美しく輝いていた。7年間の土の中の生活を終え新しい羽根を得て広い世界を飛び回る。今日がそのはじまりだ。

ネジバナ



ラセン階段の先には
青い空がある
花の階段が
雲を通り越して
天に届いた時
梅雨が明けるのだ
 雨に促されて、茎がすくっと伸び、梅雨明け待ちきれずに花を咲かせる。誰かがねじったように列をなして咲いてゆく。天に向かうラセン階段のように。
 小さなピンクの花の一つひとつに近づいてよく見ると、まぎれもなくランそのものである。花屋さんに並ぶような高価なランではないけれど、こんな身近な庭先や芝生にもランが咲いてる。

ギボウシ


 雨を避けて
  いるかのように
 人目をはばかって
  いるかのように
 うつむいて
 控えめに花開く


本堂の上がり口(向拝)などの欄干に擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ、ぎぼうし)がある。宝珠をかたどっているので擬宝珠。その擬宝珠に花のつぼみの形が似ているのでその名がついた。わたしは葉の形のほうがもっと近いと思うのだが。ギボウシの花の時期は短い。梅雨のそれもほんのわずかな時だけだ。雨を避け、うつむいて控えめに咲いている。

ヒメヒオウギ

南アフリカ原産のかわいらしい花で、本名はアノマテカ・ラクサ。園芸植物として日本に伝えられました。我が家の庭には野草化してどんどん増えています。5月に美しい花を咲かせます。


 わたしの生まれは
 南アフリカ
 美しいからと
 日本にやってきました
 今ではたくさんの
 お友達ができました

ギンリョウソウ

 漢字では銀竜草と書きます。白銀の竜を連想させるからでしょう。植物ですが、葉緑素をもたないので、自分で栄養を作ることはできません。樹木と共生するベニタケ科のキノコから栄養をもらっています。つまり、キノコを介して樹木から間接的に栄養をもらっているのです。ユウレイタケの別名がありますがキノコではありません。ちゃんと花が咲き、おしべ、めしべもあってマルハナバチによって受粉して種が実のります。




豊かな森は
数かぎりない
いのちを育む

どんな個性のものも
生きていていいんだ

マツバウンラン


 なぜそんなに
 背伸びするの?

 私は
 空が好きだから
 風が好きだから
 
 松葉のような小さな細い葉をもった茎が地を這うように広がって、何の草だろうと思っていると、中心からすらっと花茎が伸び、淡い紫色の可憐な花を咲かせます。
 海辺にはえる蘭に似た花を咲かせる海蘭(ウンラン)の仲間で、葉が松葉のようなのでこの名があります。北アメリカ原産、1941年に京都伏見で確認されたのがはじめです。1980年頃から西日本に広がっています。


ヒメオドリコソウ

茎の断面は珍しく四角形。てっぺんの葉は紫、シソの仲間です。明治に伝わってきましたが、近年、急に身近なところに増えてきました。この花の近くには同じ仲間のホトケノザが多く見られます。


こんにちは
ヨーロッパから来ました
ヒメオドリコソウです
ちょっぴり不安だけど
先輩のホトケノザさんが
いるから大丈夫
よろしくお願いします

ウ メ



  梅一輪
  一輪ほどの
  あたたかさ

    服部嵐雪
立春の朝、梅の花が二つ三つ咲いているのを見つけた。桜の時期は騒がしく、今か今かと桜の開花を待ち望む人が多いが、梅は静かに咲いている。まだ寒さの残る中に、ほんの少しの春を感じ取って。

シジュウカラ


  老いの名の
  ありとも知らで
  四十雀   
        芭蕉

シジュカラ(四十雀)
シジュカラ(四十雀)

 この句を詠んだ翌年、五十歳で芭蕉は亡くなっています。当時、四十代はもはや老いの境遇でした。自分の歳と重ね、老い身でありながら、老いに無頓着に生きている姿を四十雀に重ねています。

タマゴタケ

この夏、八ヶ岳に登った。雨の少ない夏だったが、深い森に覆われた山は潤い豊かで、カラフルなキノコも多かった。私が初めて出会ったのがこのタマゴタケ。白い卵のような殻を破って、まるで赤〜黄色の大きな傘が開く。毒の多いテングタケの仲間には珍しく、大変おいしいキノコだそうだ。旅行の途中なので胃袋には納めず、写真にだけ納めた。


 食べられる?
 それとも毒?
 そんな分け方
 しないでと
 言わんばかりに
 タマゴタケは
 黄金色に
 輝いていた

コマクサ

高山の砂礫地にしか育たないコマクサ。一年の大半は雪、濃霧と強風、栄養のない小石だけの斜面です。そんな厳しい環境に生きています。でもここがコマクサには一番居心地のよいところ。
  私は
  ここが好き
  ここじゃないと
  生きていけない
  だから
  ここが好き


ヒラタクワガタ

 体長7㌢。蓮光寺の裏山で大きなヒラタクワガタを見つけました。タブの木に登ってました。こんなに大きなのは久しぶりです。ヒラタクワガタは越冬し3年ぐらい生きるのだそうです。息子は大喜びでしばらく飼うことにしました。
 中世の武将の兜(かぶと)には武を誇り、威厳を示すために鍬(くわ)の形をした前立てが角のように飾られていました。これを鍬形(くわがた)と言いました。大あごがそれに似ているのでその名があります。




 森の虫の王者
 ヒラタクワガタ
 豊かな森の証
 多くのいのちが
 息づく森の恵みに
 私たちも
 生かされている

 

ミソサザイ

体長10㌢。体重9㌘。一円玉9個程の小さな鳥。どこからそんなエネルギーが出るのかという程のよく通る声は、深い山の渓流に響き渡る。久住の森で尾羽をピンと立てた愛らしい姿に出会った。


 小さいとか
 大きいとか
 気にしないよ
 わたしはここに
 いのちいっぱいに
 生きているんだ

アミガサタケ



 宇宙の果てから
 やって来たような
 不思議な造形
 どんな彫刻家も
 かなわない

アミガサタケ
アミガサタケ

竹薮のはずれにキノコがはえた。アミガサタケ。不思議な形だ。「これ、食べられるんですよ」と説明しても、なかなか気味悪がって手を出す人は少ない。「あー気持ち悪い」そんな意見が大勢を占め、我が家でも結局そのままにしている。フランス料理にはよく使われる食材なんだけどな。

フデリンドウ



    
 春の日射しをうけて
 小さなリンドウが咲く
 お日さまのない時は
 花を閉じている
 光に照らされて
 はじめて花開く
  
 春の野にも小さいながらリンドウが咲く。蓮光寺の本堂の裏には花を寄せ集めて咲くようなフデリンドウが私たちを楽しませてくれる。
 最近フデリンドウがよく目につく。今までも身近に咲いていたのでしょうが、私の思いが変わったら、見えるものが変わって来た。

サクラ

    残る桜
  散りしだく
  ひとひらに託す
  わがいのち
  暖かくあれ
  きわのきわまで
       能芝 隆


重度の肺がんという「間近い死」の告知を受けた能芝さん。それから一年の間に「それまでの50有余年を遥かに凌駕する感動」をもって綴られた詩の一つ。きわのきわまで輝くいのちでありたい。

ハコベ

 雑草なんてない。それぞれに名前があり、輝きがあり、尊いいのちを生きている。小さくても、ほかの花と違っても、はじけんばかりに咲いている。すぐそばで輝いているハコベは春の七草の一つだ。

  春一番のひかりが
  優しいいのちに届いた
  花は喜びにあふれ
  はじけて咲いた
  輝いてわらった

 

ハコベ
ハコベ

マンリョウ


  素晴らしく
  深い赤色の実
  こんな赤なんて
  ほかにまねできない
  赤の達人

マンリョウ
マンリョウ

センリョウは上向きに実が実り、朱色が強いが、マンリョウは葉の下に多くの実をつける。誰に観てもらいたいのだろう、色はより深く濃い赤になる。誰のためでもない、ただ自分の色が好きだから。

リュウノヒゲ


    
  瑠璃色の
  竜の玉
  宝物をみつけて
  ちょっぴり
  うれしくなった
 
細い葉っぱが龍の髭であるなら、青い実は龍の玉ともいえるでしょう。艶やかな瑠璃色の実がまるで大切な宝物のように葉に隠されています。ジャノヒゲ(蛇の髭)ともいわれています。

ヤツデ

ヤツデは今が花盛り。目立たない花ながら、寒いこの時期、精一杯に咲いています。ヤツデは「八つ手」から来ています。でも八つばかりではないようです。たくさんの意味の八=満数からでしょう。


  
  寒くたって平気
  今が僕の出番なんだ
  いっぱい花をつけて
  実を付けるぞ
  

ドウダンツツジ

境内でも目を惹くのが、深紅に色づくドウダンツツジ。落葉するツツジの仲間です。新緑も美しく、また白い提灯のような花も愛らしい。秋にはモミジに負けじといやそれ以上に真っ赤になります。

  モミジには
  負けないぞ
  背丈は低いけど
  深い色合いが
  僕の自慢だ


ホトトギス

 ホトトギスといっても鳥ではなく花。斑点のある紫色の花をつけます。初夏に鳴くホトトギスの胸の模様を思わせるのでこんな名がついた。植物のホトトギスは秋の境内を今盛りと彩ります。



 テッペンカケタカ
 鳥のホトトギスは
 声だけで姿を見せない
 花に思いを託して
 秋の庭に訪れた

リンドウ

リンドウ
リンドウ


異花どもの
みな霜枯れたるに
いとはなやかなる色合ひにて
さし出たる
いとをかし
        『枕草子』
リンドウとは「竜の胆のように」苦い薬草だから「竜胆」。霜が降りる晩秋にも山道に点々と咲く、観るだけで心に優しい花だ。近くの野山ではなかなか出会えなくなった。久住で見つけた。

トリカブト

八ヶ岳の中腹、紫の美しいトリカブトが競い合うように咲いていた。根の毒は熊をも仕留める強力なもの。舞楽の楽人の鳥兜に似ているのでこの名がある。毒など感じさせない秋風にゆれる美しい花。

トリカブト
トリカブト


 秋風に吹かれ
 ゆれるトリカブト
 鳥の歌声
 秋の調べに舞い踊る
 木々は賞賛のさざめき

アサギマダラ

 
 優雅な舞う姿と
 海を越えてまで
 渡ってゆくたくましさ
 私にはないから
 心ひかれる
登山で訪れた八ヶ岳の中腹、美濃戸の林道にアサギマダラが何匹も舞っていた。大きな美しい蝶だ。この蝶を見るとわくわくする。夏は涼しい高山などにいるが、秋には千キロも海を越えて渡ってゆく。

アサギマダラ
アサギマダラ

クジャクチョウ

 登山で訪れた八ヶ岳の中腹、クジャクチョウが舞っていた。アザミの花から花へ。本州中部では標高の高い山でしか見られない。目玉模様は鳥類などの天敵から身を守る効果もあるのだろう。

クジャクチョウ   →八ヶ岳
クジャクチョウ   →八ヶ岳


 クジャクを思わせる
 美しい模様
 鳥もびっくり
 人もびっくり
 

クツワムシ



 ガチャ ガチャ
 ガチャ ガチャ
 クツワムシ
 秋の夜長を 鳴き通す
 ああ面白い 虫の声
夜、寝ようという時、突然、ガチャ ガチャ ガチャ........。何と大きな声。どこから入って来たのか、廊下で鳴き出した。これでは一晩中寝られそうにない。外に逃がしてやった。

チョウトンボ

 蝶のように舞い
 葉先にとまった

 こうでなければいけない
 という生き方はない
 どんな個性も
 陽の光に輝いている

チョウトンボ
チョウトンボ

まるで蝶のように舞う姿が美しく優雅である。葉先にとまった時も羽根を開いたり閉じたり....。初めて見たときは蝶かトンボかどっちなのか不思議だった。藍色に輝く羽根は本当にきれいだ。

メダカ

  めだかの学校

めだかの学校は 川のなか
そっとのぞいて みてごらん
そっとのぞいて みてごらん
みんなでおゆうぎしているよ
       (茶木 滋)
昔はどこでも見られた風景です。しかし今メダカは絶滅危惧II類に指定されています。最近、そーっと川をのぞいたことがありますか。小川も身近にないですね。私たちの生きる営みがメダカの生きる場所を奪っています。

メダカ
メダカ

タマムシ


  生きることに
  疲れてる僕に
  「私もここに
   生きている」と
  虫は輝きを
  教えてくれた

タマムシ
タマムシ

ケヤキの梢にキラキラ光る虫が飛んでいる。タマムシだ。法隆寺の玉虫厨子はこの虫の羽根で飾られている。ケヤキにとっては厄介な害虫でもある。暑い中で輝きながら飛ぶさまは、生きることの大変さと尊さを教えてくれる。

アブラゼミ

アブラゼミの羽化
アブラゼミの羽化


 こんな羽根が
 あったんだ
 大空を飛んだら
 どんな友達に
 会えるんだろう
 今日から
 新しい生き方が
 はじまる
夏の夜、子どもたちと外に出ました。
「おったよー!」
懐中電灯に照らされて、きらっと光るセミの幼虫を見つけました。
夜の闇の中でゆっくり静かに懸命に新しい自分へと生まれ変わります。
子どもたちはこう言ってくれました。
「セミって大変なんだね」
「一生懸命生きているんだね」

ハ ス


  蓮の花
  今、開く
  今生の
  いかなる苦も
  煩悩も
  消し去り
  正覚の華を
  開く 

ハ ス
ハ ス

「高原の陸地に蓮を生ぜず、卑湿の淤泥に蓮華を生ず、此は凡夫煩悩の泥中に在りて、仏の正覚の華を生ずるに喩うるなり。」『入出二門偈』。親鸞聖人は『維摩経』を引かれ、煩悩の中に生じながら、さとりの花を開かせる他力のはたらきの尊さを示されている。
 ハスは泥でなければ育たない。そして微塵も泥に染まらぬ清浄な花を開く。煩悩の火を燃やし続ける私。お念仏はその私を浄土へ生まれさせ、さとりの花を咲かせてくれる。

ノコギリクワガタ


 夏の訪れに
 子どももワクワク
 大人もワクワク
 これからもっともっと
 いろんな虫に会えるね

ノコギリクワガタ
ノコギリクワガタ

 タブの樹を足で蹴ったら、虫が落ちて来た。クワガタムシだ。それも雄のあごの大きいノコギリクワガタ。子どもは歓声を上げ、やや興奮気味。早速捕まえてもって帰り、飼うことにした。

ドクダミ

  おまえを大切に
  摘んでゆく人がいた
  臭いといわれ
  きらわれ者の
  おまえだったけれど
  道の隅で
  歩く人の
  足許を見上げ
  ひっそりと生きていた
 いつかおまえを
 必要とする人が
 現れるのを
 待っていたかのように
 
 おまえの花
 白い十字架に似ていた
   
         星野富弘

ドクダミ
ドクダミ

アジサイ

アジサイ
アジサイ

  あじさいさいた
  あたたかなおひさま
  なみだの雨
  支えてくれる大地
  あじさいの色は
  ふかくなった
アジサイの花は、土によって濃淡や色が変わる。土徳という言葉がある。お念仏の心がしみ込んでいる地方に育つと自然とその心が育つ。今、土が渇いている。ともに仏さまの心で土を潤し、耕せば、お念仏の花も咲く。

ハナショウブ

ハナショウブが咲き始めました。宇部の常盤公園もハナショウブの名所です。色とりどりの美しい花がならびます。娘が4歳だったころ、「いっぱいきれいなお花が咲いちょるけど、どれが一番きれいかね?」こう尋ねました。すると「お父さん、みんなきれいよ!」と。そうでした。花に優劣はありません。私の好き嫌いはあっても、花はみんな精一杯咲いていることを娘は教えてくれました。

ハナショウブ
ハナショウブ


 ハナショウブ
 その色と風合いは
 私たちに
 安らぎと
 落ち着きを
 与えてくれる

キュウリグサ

わすれな草に似た、わずか3ミリ程度の花。とても小さい花ながら、とても愛らしく美しい。名は葉をもむとキュウリのようなにおいがするから。花の愛らしさに由来する名を考えたいものだ。

小さな小さな花
咲いていることさえ
人に気づいてもらえない
でも、この花に魅せられて
花は大きさではないと知った

キュウリグサ
キュウリグサ

タケノコ

 今年は暑かったり寒かったり、天候が不順です。タケノコも少し調子が狂っているようです。タケノコは一日で何センチくらい伸びるでしょう? 少し大きくなったタケノコは一気に1メートルも伸びることがあるのだそうです。今度調査してみなければ...。雄々しいタケノコに出会うことがあります。お釈迦さまの誕生のように「唯我独尊」と名乗るようだというのもうなずけます。

たけのこ
たけのこ


 笋(たけのこ)も

 名乗るか

 唯我独尊と

     一 茶

フ ジ


  念仏に
  
  季はなけれども
    
  藤の花

     正岡子規

フジ
フジ

 この句は法然上人賛として詠まれたものです。子規は35歳でなくなります。病床で特定の宗派の信仰ではありませんが、仏教的な関心を強く持って、仏教的な句をいくつか詠んでいます。
 お念仏に季節はありません。どんな季節でも阿弥陀さまのお心を味わうお念仏です。
 「あてなるもの、‥藤の花‥」『枕草子』。清少納言はあてなるもの、つまり気品あるものの一つとして藤を讃えています。

イロハモミジの花

モミジの花
モミジの花


  私も咲いているのよ
  小さくて地味だけど
  サクラの花の数には
  負けてなんかないわ
 
 サクラの咲く頃、モミジの新しい葉が芽吹いてきます。まばゆい新緑の下に小さな花がはじけるように咲きます。人の眼は華やかなものの方に行きがちですが、モミジも競って花をつけます。

オキナグサ


 春を知らせる 花ならば
 人の心も わかる筈
 今宵かの君 なにをか思う
 われにささやけ 迎春花
       (西条八十)


中国東北部では迎春花(インチュンホア)と呼ばれる。この地方では、春を迎えるシンボルである。うつむいて咲く深いエンジの花は神秘的。実が、まるで翁の白髪のようであるのでこの名がある。

フ キ


   ほろ苦き

   なかに味あり

     蕗の薹
 春に顔を出すフキノトウは苦みがたまらない。そう思えるのは大人になってからのこと。この句は、村上速水先生が、厳しさ、苦さの中のあたたかさを詠んだ句として紹介してくださった。

フ キ
フ キ

サクランボ

 まるで春を待ちきれないかのように、サクラよりおよそひと月も早く、一斉に花をつけます。待ちかねた虫たちも、ウメあとの花を探していたメジロもサクランボの蜜を吸いにやってきます。

サクランボ
サクランボ

 サクランボの花が
 咲いたよ
 早く実に
 ならないかなあ
 今年はいっぱい
 なったらいいね
 

ホトケノザ

ホトケノザ    →花法話
ホトケノザ    →花法話

 美しい
 ピンクの仏さまがたが
 私のところにも
 あなたのところにも
 春が来たことを
 教えてくれた
花の付け根の葉が、仏さまの蓮台を思わせるのでこの名があります。美しい花はさしずめ仏さまです。多くが三段を数えるので三蓋草の名もあります。ますます華やかになる春を教えてくれます。

梅にメジロ

  私
  花の蜜大好き
  ウメ
  ツバキ
  とっても甘くて
  おいしいんだもん
  サクラも待ち遠しいな

梅にメジロ
梅にメジロ

梅によく来るのはメジロ。メジロは鮮やかなウグイス色。ウグイス? いいえメジロ色が本当だね。「梅にウグイス」はあまり見かけない。誰かがメジロとウグイスを間違えたかな?

ルリビタキ

 境内の竹薮で作業をしていると、青い鳥が近くにやってきた。ルリビタキだ。美しい青い背に、脇に少しオレンジ。この時期、幸せの青い鳥は手の届くようなところにいる。念願の撮影に成功。
  
  あなたの
  そばにいるよ
  近くの公園や森で
  気をつけてみてよ
  僕に会えるよ

ルリビタキ
ルリビタキ

スイセン


  庭の水仙が
  咲き始めました
  水仙は
  人に見せようと思って
  咲くわけじゃ
  ないんだなあ

  ただ咲くだけ
  ただひたすら
    (相田みつを)

スイセン
スイセン

 福井県越前海岸を訪れたことがあります。断崖の上にスイセンの群落があります。
 2月、日本海からの雪まじりの寒風の中、たくさんの花を見事に咲かせていました。
 観光客は私たちだけ。多くの人に見てもらおうと思って咲いているのではありませんでした。ただ、自分の花を咲かせていました。

メジロ

メジロ
メジロ


あっ、みかん
私、甘いもの大好き

春になったら
花の蜜
いっぱい吸うの
餌台を作ってみかんを置くと真っ先に来てくれるメジロ。子どもにも笑顔を届けてくれます。色は「鶯色」。当のウグイスはもっとくすんだ色。メジロを見た人がウグイスと勘違いしてしまったとか。

センリョウ

 成人の日、1月12日。未明から雪が舞っていた。屋根や木々はうっすらと白くなった。センリョウも雪化粧。赤い実が雪に映えて殊に美しかった。凍える寒さの中でも、いのちは輝いていた。

雪化粧のセンリョウ
雪化粧のセンリョウ


  空から
  もらった
  白いドレス
  きれいでしょ

ロウバイ

 葉が落ちる前からつぼみが準備されていた。まだ葉を残しながらも、蝋細工のような繊細な美しい花は、まるで新しい年を待っていたかのように開き、すばらしいいい香りを放ち始めた。

 まだ散ってない
 葉っぱもあるけど
 ちょっとせっかちかな
 でもみんなが
 待ってるから

ロウバイ
ロウバイ

ミノムシ

ミノムシ
ミノムシ

「みのむし、いとあはれなり」とは枕草子の一節。オオミノガの幼虫です。オスはガになりますが、メスはミノから出ることはありません。私も煩悩の殻から出られません。「いとあはれなり」

 わたし、一生
 ミノから出られないの
 でもね
 ちゃんと
 生きているのよ

エノキタケ


 僕が本物の
 エノキタケだ
 自然の森で
 育ったら
 こんなに大きくなるんだ

エノキタケ
エノキタケ

白い細長いエノキタケ?あれは人間の都合で、日の当たらないところで無理矢理育てられた気の毒なもやしっ子です。野外では傘が5センチにもなる大きな立派なものに出会うこともあります。

ト チ

  大きな
  大きな
  大きな葉っぱ
  大きな
  大きな
  大きな樹
  森の主だ
トチの実せんべい、トチ餅...。山里に行くと目にするお土産だ。トチは山国の生活には欠かせない。何度も何度も灰汁抜きをしてようやく口に入る。葉は顔が覆えるような大きな葉だ。黄色く染まってい美しい。

晩秋のトチ
晩秋のトチ

ケヤキ

ケヤキ
ケヤキ

  雨の日も
  風の日も
  どんな暑い日も
  陽の光を浴び
  木を育てた
  そんな葉が
  いま輝く
 平成元年に植えたケヤキの木は、20年経って既に10メートルを超える高さの大樹となっている。夏には木陰を作り憩いの場を作ってくれた。黄色く輝く葉が、晴れた青空に映えて美しい。

フユノハナワラビ


花には
負けてられない
ちょっと地味だけど
寒さに負けず
がんばっているんだ

フユノハナワラビ
フユノハナワラビ

 紅葉間近の境内の一角にワラビのような植物が生えてきた。フユノハナワラビだ。シダの仲間で、秋から胞子茎を伸ばす。花が少なくなったこの時期を待っていたかのように。まるで花のような趣きをもっているのでこんな名がついた。

ビ ワ


 寒さの中に
 寄り添い
 微笑みながら
 静かに
 ただ咲く
寒いこの季節、白い花を重ねて咲いています。花の柄やつぼみはびっしり毛で覆われ、まるで毛皮のコートを着込んでいるようです。ほかの花との違いを気にかけることなく、寄り添って咲いています。

ビワの花    →花法話
ビワの花    →花法話

センリョウ

 赤と一口に言っても、紅、朱、緋、丹、茜など様々。このセンリョウの実は朱色。あざやかな色のため鳥に見つかり、色づいた頃にはなくなっている。人間には腹立たしいが、センリョウにとって分布を広げるのでうれしいこと。

センリョウ
センリョウ


 あざやかな朱色は
 誰のため?
 人間、鳥
 それとも
 自分のため

ヤマノイモ

ヤマノイモ
ヤマノイモ

 ヤマノイモの葉が美しく黄色く色づいていた。杉の垣根の緑の中にくっきりと浮かび上がっていた。
 晩秋、落葉する葉は様々な色にかわる。ヤマノイモは特に美しい黄色となる。その色づいた葉を目印に芋掘りも楽しみだ。

 細いスペードの葉は
 栄養を作り
 地中に蓄えた
 そのご褒美として
 黄色に染められた

イロハモミジ

 枝を離れんとする時、モミジは燃え上がり、輝く。見る人に感動を与える。
 葉はやがて散り、大地に落ちるが、それで終わらない。大地をあたため、新しいいのちを育み、やがて腐葉土となり木を育てる。

  厳しい冷え込み
  あたたかな陽の光
  潤いをもたらす雨
  ささえてくれる大地
  すべてがそろった
  輝く紅葉のために

イロハモミジ   →花法話
イロハモミジ   →花法話

カガリビバナ(シクラメン)


 そっと一鉢
 窓辺に置いた
 部屋が
 明るくなり
 あたたかくなった

カガリビバナ(シクラメン)
カガリビバナ(シクラメン)

「まるで、かがり火のようね。」こう感嘆の声をあげられたのは、九条武子さま。この一言がきっかけで、シクラメンはカガリビバナと和名をもらった。華やかな美しさに、多くの人が心揺さぶられた。冬をあたたかく、彩ってくれる、かがり火となった。

フユイチゴ

イチゴというと初夏が旬というのが常識。(もっとも温室イチゴは12月が盛りだが) 風が冷たくなるこの時期、林の縁に赤い実が実っている。フユイチゴである。甘いとは言い難いが、酸っぱさが心地よい。冬枯れをあたたかく彩ってくれる鮮やかな赤いイチゴである。

フユイチゴ
フユイチゴ

 冬の実りは赤が多い
 センリョウ
 マンリョウ
 フユイチゴ
 鳥に見つけて
 ほしいから
 それとも
 寂しい冬を
 暖かくしたいから

ノブドウ

ノブドウ
ノブドウ



  秋の野に
  誰かが
  そっと七宝を
  ちりばめた
 緑、ピンク、紫、青、空色、まるで宝石のように艶やかに輝く実が私達の目を楽しませてくれます。実は食べられませんが、秋の野にそっと彩りを添えます。熟すと、まるで秋空を写し取ったように空色になります。

コスモス


  コスモス
  一輪
  揺れて
  風を楽しむ
名の由来は「秩序、調和、美しい、装飾」を意味するギリシア語「Kosmos」。一面に咲くコスモスはまさに調和を教えてくれる。メキシコの高原の風に吹かれて揺れて咲いていた花がスペインを経て日本に渡ってきた。風を見る花でもある。

コスモス
コスモス

ヒガンバナ

   彼岸花

  凛と立つ
  茎に支えられ
  紅の煩悩のまま
  曼珠沙華
  咲け
        
   能芝 隆

ヒガンバナ
ヒガンバナ

 彼岸花には毒があります。この毒がモグラよけになります。飢饉の時は根の毒が抜かれ、多くのいのちを救ってきました。
 真っ赤な花は煩悩が燃えさかるさまを表すかのようです。しっかりした茎に支えられれば、見る人に彼岸を思わせます。悪業を離れさせる天上の花、曼珠沙華と呼ばれるのもうなずけます。

ク  ズ

 雑草
 厄介者
 薬
 秋の七草

 どんな評価でも
 気にしたことは
 ありません
 いのちいっぱいに
 生きるだけです

ク  ズ
ク  ズ

クズは秋の七草の一つ。可憐なイメージとはほど遠く、繁殖力旺盛なツルで四方八方に広がる厄介者だ。しかし昔からクズの根からとった澱粉は最高級のものとして葛きり、葛饅頭、また葛根湯という薬にもなった。見方によって雑草にもなり、有用な大切な植物にもなる。

ナ ス

ナ ス
ナ ス

ナスは日本料理には欠かせない食材だが、じつはインド原産。実は店先でも食卓でもよく目するが、花は畑でしかお目にかかれない。同じ紫でも薄い。藤色と言った方がいい。黄色いアクセントが見る人の心にとまる。清楚な美しい花である。
 暑い
 日射しにも
 涼やかに
 清楚に
 控えめに
 うつむいて

ツユクサ

万葉集には「着草(つきくさ)」という名で呼ばれます。「着き」とは「色を着ける」つまり染料を意味します。青い花びらからとった美しい紺色の絞り汁は水に流すとすぐに脱色するので、昔から染め物の下絵に利用されてきたのです。花は早朝に咲き、昼過ぎにはしぼんでしまいます。悲しいかなこの花は蜜が出ません。蜂も蝶もなかなか訪ねてきてはくれません。はかなさを象徴するかのように露草と呼ばれます。朝露にぬれた可憐な青い花はいのちの優しさを教えてくれます。

ツユクサ
ツユクサ

ミョウガ

ミョウガ
ミョウガ

「どんなに暑い日も
 大丈夫だよ
 精一杯
 咲いておくれ」

大きな葉に守られて
柔らかな花を
ひっそり咲かせる
自分の名前すら覚えることのできなかった周利槃特(チューダパンタカ)も釈尊の弟子となった。「ちりを払え、あかを除け」と一本のほうきをいただき掃除をかさね、おのれの心のちり、心の垢=煩悩を払い続け、偉大な弟子の一人と数えられた。その周利槃特の墓に生えたのがミョウガだという。名前を覚えることも苦労し、名を荷なってきたというところから茗荷と呼ばれる。学術的な根拠はないが、この花を見ると賢、愚にとらわれるわたしも少し優しくなれる気がする。

キカラスウリ

 花は昼間咲くとは限らない。このキカラスウリの花は夏の夜から朝にかけて咲く、太陽が苦手な花。花らしくない花だけれど、夜露を浴びたキカラスウリの花は美しかった。

キカラスウリ
キカラスウリ

太陽は苦手だけど
夜露と
月明かりが友達
夜の舞踏会には
ドレスがお似合い

ムクゲ

 一つの花のいのちはたった一日、でも夏の盛りに、暑さに負けじと次から次にたくさんの花を咲かせます。無窮花(ムグンファ)と呼ばれるのもうなずけます。大韓民国の国花でもあります。

 暑さに負けず
 たった一日の
 いのちでも
 太陽に向かって咲く
 いのちあふれる花

ムクゲ    →花法話
ムクゲ    →花法話

ツバメ


  おなかすいたね
  お母さんまだかなあ
  大丈夫だよ
  もうすぐ
  帰ってくるよ

ツバメ
ツバメ

いっぱい食べて大きくなってね。巣を見つけた人もヒナを心配しています。
ヒナは、お母さん危ない目にあっていないかなと心配しています。母鳥はヒナを心配しながらエサを運んできます。

デンデンムシ

 雨が降ったら散歩して、晴れたらお休み。あんまり遠くには行ったことがありません。どんなに一生懸命歩いても一時間に数メートル。ゆっくり、ゆっくり歩くからいろんなことがわかるんだよ。



  ゆっくり歩くのも
  いいもんだね
  あんまり急ぐと
  気づかないものが
  いっぱいあるからね

チドリノキ

チドリノキ
チドリノキ


 太陽の光が
 若葉を通って
 やさしくなった
 緑の輝きにつつまれ
 私の心は
 やわらかくなった
 新緑は私の心に優しく安らぎを与えてくれます。この新緑はチドリノキ。葉に切れ込みのないカエデの仲間です。
 葉の形も、色も、生き方もいろいろ、でもみんな輝いています。

オオイヌノフグリ

「犬ふぐり」とは少しかわいそう。ルリホシソウ(瑠璃星草)という地方もあるとか。
春を先取りするように美しい花を咲かせます。名前なんか気にせず、いのちいっぱいに生きて花を咲かせます。

  
  やわらかな光が
  星のような
  花を咲かせた
  春いちばんの
  空の青さを
  うつしとって

オオイヌノフグリ
オオイヌノフグリ


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