蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

花 法 話               〜季節の花に寄せて〜

フジに寄せて

フ ジ
フ ジ

境内の一角に藤の花が満開となりました。

   下がるほど
   人の見上ぐる
   藤の花

 先人は、藤の下がる姿にお念仏をいただいて生きる姿勢を学んできました。古代から藤は愛され、尊ばれてきました。
 平安時代、清少納言は枕草子に、「あてなるもの」つまり気品あるものの一つとして藤を讃えています。
 浄土真宗本願寺派の紋章は「下がり藤」です。親鸞聖人の生家が日野家であり、西本願寺が藤原氏、特に九条家とのゆかりが多かったためではないかと言われています。下がり藤の紋にそんな伝統を偲ぶことも出来ます。
 また明治の俳人正岡子規はこんな句を詠んでいます。

  念仏に
  季はなけれども
  藤の花
      子規

 この句は法然上人賛として詠まれたものです。正岡子規は若くして病床に伏し、34歳で亡くなりました。死を前にして特定の宗派の信仰ではありませんが、仏教的な関心を強く持って、仏教的な句をいくつか詠んでいます。この句はその一つです。
 お念仏に季節はありません。どんな季節でも阿弥陀さまのお心を味わうこどができるお念仏です。お念仏申すところに阿弥陀さまのお救いの中に生きていることを思います。
 垂れて咲く藤の花をご縁にお念仏をおもいます。そして季節を越え、どんなときもおさめ取って捨てない阿弥陀さまのみ光の中に生かされるわが身であったとお念仏申させていただきます。

ホトケノザに寄せて                              春

 たくさんの花が咲く春になりました。「春」という言葉は「張る」「跳ねる」から来ているのだと言われます。いのちがいきいきとしてくる季節です。
 3月になると野辺には、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ナズナ、ハコベ、フキなどが競って咲いています。中でもホトケノザは美しいピンク色で、畑、空き地などにたくさん咲いている様は感歎の声をよびます。このホトケノザは春の七草のホトケノザ(コオニタビラコ)とは違います。食べません。

ホトケノザ
ホトケノザ

 畑の近くに多い植物です。農耕が日本に伝わった頃、大陸からにもたらされた帰化植物です。もうに私たちの身近な風景にとけ込んでいます。そういえば仏教も大陸からもたらされた教えですね。
 花の下の葉が、まるで仏さまの蓮台を思わせるので、この名があります。とすれば、ピンクの花はさしずめ仏さま、私の身近なところに現れてくださった諸仏さまがたでしょう。どんなところにも、いのちをいきいきとさせる春がはたらいてくれることを教えてくれます。
 春は眼には見えません。しかし春は私にもあなたにも分け隔てなく届いて、このいのちを生き生きとさせてくれます。まるで仏さまのおはたらきと同じです。阿弥陀さまのおはたらきは私に届いてお念仏の花となって咲いてくださいます。諸仏さまのご讃嘆によって、私のところに届いてくおはたらきに気づかされます。有縁の方々のおすすめによってお念仏申す身にいま、お育ていただいているのです。

びわの花に寄せて                               冬

 寒くなりました。どんなに寒くても阿弥陀さまのお心が届いて、お念仏の花がこの口からこぼれ、咲いてくれます。
 でもこのお念仏がわたしの口からこぼれるようになるまでにどれほどのご縁が必要だったでしょうか、どれほど時間がかかったでしょうか。
 ある方はお寺に来るようになって30年経ってようやくお念仏申すことが出来るようになったとおっしゃいました。

びわの花
びわの花

 先日、小学校6年生の娘がビワの花が咲いていると教えてくれました。はじめて咲いたと大喜びでした。娘がまだ幼稚園の頃、食べたビワがあまりに美味しかったので、そのビワの種を畑に植えたのです。翌年芽を出し、7年経って今では背丈は6メートルになる木に育ちました。毎年、今か今かと花が咲くのを楽しみにしていたのですが、今年ようやく花を咲かせたのです。種をまいて、花を咲かせるまでおよそ7年経っています。
 あちこちにあるビワの木も今、花を咲かせています。ビワの花に注目する人は少ないようです。教えてくれなければなかなか気づきません。人に教えられてはじめてビワの花が咲いていることに気付かされます。
 阿弥陀さまのおはたらきもそうでしょう。教えられてはじめて気づかせていただきます。そして、お念仏申す尊さを聞かせていただき、様々な縁が熟して、ようやくお念仏申す身にさせていただくのです。阿弥陀さまの心が届いて、この口にお念仏の花咲いてくださるのです。
南無阿弥陀仏

紅葉に寄せて                                 秋

 朝晩冷え込むようになりました。日中はいいお天気が続きます。一日の気温差が大きく天気がいいと紅葉がきれいになるのだそうです。境内の紅葉が楽しみです。今年は少し早くなりそうです。
 モミジの葉は枝を離れる直前、真っ赤に燃え上がります。すべての人を振り向かせ、感嘆の声をあげさせ、安らぎをも与えます。

イロハモミジの紅葉
イロハモミジの紅葉

 葉の一生の最後がこのようにドラマティックで、しかも見る人に喜びを与えることに、感動します。葉はやがて大地に落ち、腐葉土となって、木を養い、また新しいいのちを芽生えさせ、育みます。
 私もやがて人としての一生を終えます。老い、病を経て愛する人と別れなければなりません。しかし阿弥陀さまの光に照らされる者は、念仏申す身に育てられ、輝くいのちにさせて頂くのです。年を重ね老いの中に身を置いても老いざまは周囲の人を導く老いの姿になります。 病の身もまた同じようにいのちのあり方を示す身となります。そして死。阿弥陀さまに照らさせる身は、その死を人生の終わりとするのではなく、お浄土へ生まれるいのちとさせて頂くのです。 
 モミジの葉が太陽に照らされて真っ赤に色づくように、私たちもまた阿弥陀さまに照らされて、老いも病も死も尊く色付きます。合掌しお念仏する姿、お念仏の香りに染められて、見る人を導く姿にさせて頂くのです。

ムクゲの花に寄せて                              夏

 暑い暑い暑い夏です。
こんなに暑くてもいろいろな花が咲いています。真っ赤なサルスベリ、大きな花をつける芙蓉、ひっそりとミョウガも花をつけています。
 庭や道路のわきにも一番目に着くのがムクゲでしょう。一本の木にたくさんの花をつけています。花がたくさんあるので何日も咲いているように思われがちですが、一つ一つの花のいのちは一日しかありません。たった一日でも暑さを楽しむかのように太陽に向かって咲いています。新しい花が次から次へと咲き続きます。この木に秘められた生命力には驚きます。


 お隣の国、韓国ではこの花をムグンファ(無窮花)と呼びます。漢字では窮まり無い花。行き詰まることのない、次々に新しいいのちあふれる花という意味でしょう。
 お隣の国、韓国でも暑いこの時期は、日本と同様、平和を思う時期でもあります。しかし思いは異なります。日本が敗戦を契機としているのに対して、韓国は日本支配からの解放を契機としています。朝鮮半島は有史以来中国や日本など近隣の国から攻められたり、王朝が次から次にかわりました。しかしそのたび事に新しい道を開いて来たのです。
 ムクゲ、次々と新しい花を咲かせるムグンファは韓国の国の花(国花)です。
 お盆、私たちにとって仏教が一番身近になる時期です。仏教は中国から朝鮮半島に伝わり、多くの人のよりどころとなって日本に伝えられたのです。お念仏のこころも朝鮮半島から伝えられました。自分の直接のご先祖だけでなく、いのちの大きな広がり、つながりの中にお念仏もうして過ごしたいものです。
                                   南無阿弥陀仏
                                      2008.8.2
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