はじめまして。この度、私としては北大ソフト部ブログ以来、日々の徒然なる様子を綴らせていただきたいと思います。4月初頭に実家で用事がありまして、それに合わせて3月末に山口に帰省しました。その頃は某ウィルスが全国的に蔓延する前でして、また北海道も、その感染が終息した(かに見えた)時期でありました。そのため飛行機のキャンセルも疎ら(まばら)で、何とか山口に帰ってくることができました。しかし4月の用事が終わったのちもむしろ全国的な感染は拡大し、なかなか札幌に戻ることができずに今に到る、というのが現状です。
北海道大学もなかなか制限が解かれず、目下6月末までは学生は原則校舎内の立ち入り禁止、また図書館も前日までの事前予約とその受け渡しが基本ということで、文献研究の私としては研究環境がなかなか整わない状況です。当面は大学での解除を伺いながら実家で過ごす、という日々が続きそうです。
しかし、実家にいるからといってすることが何もないわけではありません。幸か不幸か、我が家は豊かな自然に囲まれております。孟宗竹と真竹が切磋琢磨する竹林は予断を許さない状況で、こまめな整備が必要欠くべからざるものとなっており、雑草は古今東西TPOをわきまえずに生えてくる生き物ですし、はたや躊躇なく伸びる躑躅(ツツジ)、皐月(サツキ)、紫陽花(アジサイ)、藤、栃、欅、紅葉、椿、楠etc...、は人間の手で剪定を施さなければなりません(往々にして剪定という名の「伐採」ですが…)。これらとの格闘はなかなかに難儀なものでして、刃物を手に持ちますので緊張感が漂います。また呼んでもいないのに蚊も近くに漂います。法務のないときは気温と湿度を見計らって、このような「園芸」に勤しんでおります。
植物というのは動物のように自ら動くことはできませんが、その生命力はすさまじいものがあります。これぞ「生命の成長」です。我が家では人間が圧倒的に不利な立場ですが、自然を求めて鵯(ヒヨドリ)、四十雀(シジュウカラ)、不如帰(ホトトギス)、啄木鳥(キツツキ)などが集い、それらのさえずりや木を叩く音が聞こえてきます。時には梟(フクロウ)や雉(キジ)も、その鳴き声を聞くことができます。札幌ではなかなか聞けない声もありますので、この機に存分に聞いておきたいものです。