蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

安永雄彦『築地本願寺の経営学』


安永雄彦『築地本願寺の経営学』、東洋経済新報社、2020年

面白い度:★★★☆☆
オススメ度:★★★☆☆
予想される賛否両論度:★★★★★
 
 God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,  
 Courage to change the things which should be changed,
 and the Wisdom to distinguish the one from the other.
 

  訳:  
   神よ、変えることのできないものを
   静穏に受け入れる力を与えてください。
   変えるべきものを変える勇気を、
   そして、
   変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

 これはアメリカの神学者ラインホルド・二ーバー(1892-1972)の言葉である。「改革」が唱えられる今日にあって、何を残し、何を変えるか、それはとてつもなく難しい問題である。昨年、150年以上の歴史を持つイギリスの旅行会社トーマス・クック社が経営破綻したことは記憶に新しい。会社に限らず、長い歴史を持つ組織は、その蓄積が知恵としてあるいはブランドとして力にもなり得るが、一方で急激な変化が求められる場合には足かせにもなりかねない。況や、伝統的宗教教団をや、である。
 翻って、浄土真宗本願寺派の「築地本願寺」を見てみよう。浄土真宗が800年の歴史を持つ中でこちらは東京の拠点として江戸時代初期から重ねられた年月であるが、それでも400年以上という途方もない長さをもつ。本書はそんな築地本願寺を「改革」した、安永雄玄氏によるビジネス書(?自己啓発書?)である。そのため、著書紹介からのコメントという本コーナーお馴染みのスタイル(と言ってもまだ3冊)は踏襲しないこととし、著書紹介は省くことにしたい。なお、第5章に顕著なように自伝の側面もあり、こちらは高度経済成長期のバリバリの銀行マンの姿を見ることができる。
 築地本願寺を「改革」したとその名を轟かせていた安永氏の名前は僕のところにも流れてきていた。そしてその「改革」に関する著作が出ると聞き、気になったのはその出版元である。願わくば、本願寺出版社から打診をしての、令和版寺院改革のストーリーとして紡がれればと期待した。しかし実際は東洋経済新報社から、「異色のビジネス指南書」(?)として出版された。安永氏個人による、時代の変化への対応を説くベクトルと、伝統的宗教組織が持つ「保守性」では、その交錯模様の叙述は圧倒的に後者が「悪者」と見えかねない、つまり、「相性が悪い」。実際本書を読みながらも、どうしても「改革のヒーロー」VS「旧態依存組織」の構図が、読み物として面白くはあるものの、拭えない。もちろんかつては戦前より石橋湛山大先生が筆を執り、今日も鉄道を中心とした交通インフラに強みを持つ「東洋経済」さんは平素より書店や大学図書館等で読ませていただいているわけなのだが、恐らく築地本願寺改革の本は今後令和時代の宗教法人を預かる者にとってバイブル的存在ともなる訴求力を持つ
潜在性を秘めたコンテンツであるので、「スマートでキャッチーな本」というよりも安永氏による浄土真宗本願寺派への「歩み寄り」が暗ににじみ出るような、そんな腕利きの編集者を据えて本願寺出版社から出していただきたかったというのが本音である。
 「良くも悪くも時代に流されない」、「変化から離れた場所にある」、名実ともにそのようなイメージの象徴でもある「宗教」における、令和版「改革者」はどのような人物なのであろうか。「宗教を改革する」――そう聞いてまず念頭に浮かぶのはマルティン・ルター(1483-1546)であろう。カトリックを批判し、プロテスタントが誕生する一因となった、言わずと知れた改革者である。ここで重要なのは、ルターは外部からカトリックを批判した人物ではないということである。ルターは修道院でキリスト教を学び、大学で神学の博士号を取得し教義を教える立場にあった、即ち将来はカトリックを支えることを嘱望された「内部」の人間だったわけである。つまり、史上最大の宗教改革者は「内」より誕生していたのであった。
 ここまで言えばお気づきの方もいらっしゃると思われるが、西洋に目を向けるまでもなく、日本版の宗教改革と言える「鎌倉新仏教」の法然聖人親鸞聖人然り、宗教改革はいつだって「内」からの違和感、危機意識の表出(時には噴出)によって成し遂げられるのだろう。であるから、私としては、僧籍を取り、宗教儀礼を司りかつ教学理解とその布教を志す者が宗教組織を「改革する(した)」と聞いても、別段驚くことはないし、むしろ好意的である。
 そもそも、浄土真宗の歴代の門主は卓越した改革者であった。教団と門徒という全国規模の現在の浄土真宗の骨組みが形成される江戸時代まで、その拡大過程の中心にはいつも歴代門主の卓越した改革意識があった。その筆頭となるのは蓮如聖人で異論はないはずである。基礎知識として学ぶ「御文章の作成」「日常勤行としての正信偈の確立」「お名号の頒布」「惣村の整備」といった「実績」も、当時からすれば全て根本的な「改革」と言えるだろう。もちろん、後々評価、総括はしなければならないが、周囲の保守的傾向の強いことが容易に想像される中、現状維持が「維持」以上になる見込みが薄い場合、意欲的な試みは受け止められて然るべきである。異色の経歴を持つ安永氏が、当然反発がありながらも改革を任されたことには、少なくとも一定程度、「改革」を良しとする風潮があったことが察されよう。むしろ「改革」こそ浄土真宗本願寺派のお家芸であると矜持を抱いている者もいるかもしれない。
 安永氏は当然、築地本願寺を組織として自立させたいと考えている。つまり、自分がいなくなってもそのマインドを継ぎ、柔軟に修正できる、そのような人材を育成しようと考えている。しかし問題なのは、築地本願寺の問題として(正確に言うなら、「肉食妻帯」を認めて以後、布教伝道の拠る基盤を「家族」に置き、各家族を「寺院」としてその地政的柔軟性をある種強みにしてきた浄土真宗の問題として)、築地本願寺を支える職員には往々にして「帰るべき自坊」(さらに言えば「帰らなければならない自坊」)がある、という難問が横たわっている。日本でも有数の歴史を持つ職場が、まさかの「日本型雇用」であるはずの終身雇用を前提にしていなかった問題。育てた人材が、「自坊を継ぐ」という史上最強の理由で、周りから背中を押されるように職場を去るわけである。自らの組織をより良くする「優秀な」人材を自前で育てることができればその組織は様々な面で好循環となろうが、築地本願寺は新陳代謝が良すぎるゆえに、それがそもそも難しい。果たしてこの問題に安永氏はどう向き合うのだろうか。今後の築地本願寺の動向がより一層注目される。


 と、ここまで書いてきた当の私も、いつかは「宗教」を、少なくとも「寺院」を「改革」する当の本人になるかもしれない。冒頭で引用した二ーバーに倣えば、「変えられないものと変えるべきものを区別する」こと、これはどうやったらできるのだろうか。浄土真宗本願寺派において「変えられないもの」と「変えるべきもの」は何なのだろうか。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」。言うまでもなく、性急が過ぎ、「改革」が目的となってしまうのは本末転倒である。

   張りすぎてもだめ
   たるんでもだめ
   ちょうどいいあんばいが一番いい  
                        相田みつを

「ちょうどいいあんばい」… この難問は相田みつをさんに聞くしかない。


.