蓮  光  寺

  ともに いのち かがやく 世界へ      浄 土 真 宗 本 願 寺 派    

     いのち見つめるお寺       見つめよういのち、見つめよう人生。教えに遇い、仏さまに遇い、自分に遇う。

本を読んでみた

備忘録として。記憶のあるうちに。

新着

2021.10.3
山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって』
2021.7.9
田野大輔『ファシズムの教室』
2021.4.5
柳美里『JR上野駅公園口』
2021.3.29
森岡正博『宗教なき時代を生きるために』
2021.3.28
斎藤幸平『人新世の「資本論」』
2021.3.27
土井善晴・中島岳志『料理と利他』
2021.3.26
宇野常寛『遅いインターネット』
2021.3.25
村本大輔『おれは無関心なあなたを傷つけたい』
2021.3.24
瓜生崇『なぜ人はカルトに惹かれるのか』
2021.3.23
山本七平『「空気」の研究』
2020.11.28
安永雄彦『築地本願寺の経営学』
2020.6.26
白井聡『武器としての「資本論」』
2020.6.15
仏教タイムス社編集部編『近現代日本仏教の歩み』
2020.6.14
仏教タイムス社編集部編『日本仏教の危機と未来』

2022.1.12 ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』、新潮文庫、2021年

「これは腫れ物に触るようなポリティカル・コレクトネス(PC)で回避しておけば解決できる問題ではない。問題の根本にあるのはリアルな貧しさだからである」57頁
「いま大人たちも、社会も、アイデンティティ熱という知恵熱を出している」281頁

 2019年に数々の賞を受賞し、話題となった一冊が、待望の文庫化。イギリスの中学生の実態を綴ったストーリーだが、すでに彼らは階級、貧富という経軸に、人種、国、出自という緯軸を知り、自己と他者を照らし出しながら、人間関係を築いている。中、高、(予備校)、大学と、私が生きてきた世界は、入試を経た、極めて均質的な集団だったなと自覚する。
 


2021.10.3 山本義隆『リニア中央新幹線をめぐって』、みすず書房、2021年

「中央官庁(運輸省―国交省)と地域独占企業としての鉄道会社と車両メーカーとゼネコン、そして中央と地方の有力政治家と中央の大学の御用学者が一体となって、ときには事故情報を隠蔽し、安全神話をふりまき、マスコミを抱き込み、地元の危惧や反対の声を無視して推進されている」169頁
 著者は全共闘世代を代表する在野の科学史家・自然哲学者 山本義隆。交通インフラ好きの僕としては気になる一冊。去年訪れたJR東海の博物館「リニア・鉄道館」は、東海道新幹線運行の変遷を立体的に示したダイヤグラム(伝われ)には心躍らせたけど、陰に陽にリニアの宣伝が見え透いていて少し萎えてしまった僕だから、こういう話も知りたい派。
 F1あっても高速道路は100㎞/h、音速航空が可能でも旅客機は900㎞/hのこの世界。JR東海の全額自己負担を前提に認可も、2016年の法改正で特例とし3兆円の財政投融資を決定。
 認めたくないストーリーは、オイルショック~バブル崩壊で電力需要頭打ちの日本に、いかに原発推進のロジックを作るか、そうだ、新規大口電力需要先に「リニア」がある―。少しショックだけど、山本さんによればそのようです。


2021.7.9 田野大輔『ファシズムの教室』、大月書店、2020年

「ファシズムの本質とは … 集団行動がもたらす独特の快楽、参加者がそこに見出す「魅力」に求められる」6頁
「最初はリア充の人たちがかわいそうに感じたが、授業だから糾弾してもいいんだと思って、途中から楽しくなってしまった」(学生のコメント)114頁
 ファシズムの特徴を、支配側のテロル、秘密警察、イデオロギーよりもむしろ「大衆の自発性」に着目したナチスドイツ研究者・田野大輔によるファシズム体験学習の記録。学生の自発的な「権威への服従」を、制服・ワッペン、呼称・敬礼・行進といった視覚的、身体的規律を元に醸成してゆく。
 授業のハイライトはカップルを前にした「リア充爆発しろ!」の大合唱。創られた「共通の敵」を前に、あるべき個人の良心・倫理観は、田野帝国においては不要となる。
 「多数決」は議会制民主主義の決定手法に過ぎない。リベラルな多様性を排除した「多数決の支配」は、似非民主主義でしかない。ナチズムに限らず、差別の糾弾という排外的な行動は今でも存在する。所属する共同体の「権威への服従」に自覚的となり、今一度個人の価値観を回復したい。


2021.4.4 柳美里『JR上野駅公園口』、河出書房新社、2017年

「戦争に敗けて悲しい、惨めだということよりも、食っていくこと、食わせることを考えなければならなかった」23頁
「法名  順浩」74頁
 初版は2014年ながら、東京オリンピックを前に全米図書賞を受賞(2020年、翻訳部門)し、再評価を受ける。
 新幹線が停車し、成田空港へ京成スカイアクセス線が伸びる、東京国立博物館の最寄り駅たる上野駅だが、北関東、東北地方からの出稼ぎのターミナル駅であり、多くのホームレスが住処とする上野恩賜公園の直結駅たる上野駅、でもある。舞台は茨城、福島に伸びる常磐線。かつて石炭を産出した沿線地は、工業製品、近郊野菜、そして電力の供給地として首都圏を支える。しかし、豊かさのみで語ることはできない。血盟団事件の大洗(井上日召、立正護国堂)、五・一五事件の水戸(橘孝三郎、愛郷塾)、戦後も福島原発事故の双葉・大熊と、近代日本の様々な矛盾表出の場所でもある。
 とは言いつつも、精緻な浄土真宗本願寺派の葬送儀礼の再現性、そして主人公に与えられた法名に意識が持っていかれてしまう一冊。


2021.3.29 森岡正博『宗教なき時代を生きるために』、法蔵館、2019年

「オウムを見てしまったあなたとは何者であるのか。あなたは明日から一体どういうふうに生きていくのか。」8頁
「私もまたオウム真理教に入っていたかもしれない」26頁
 新入生を迎える季節となると、大学構内には「カルトに注意!」というポスターが貼られるようになる。あたかも、騙す方も騙される方も悪い、と言わんばかりに。
 著者は、「なぜ生きる」の問いに科学が答えず、宗教に辿り着くも「信仰」が分からず苦悩していたその時、リアルタイムで「オウム」を目撃し、「自分ごと」と引き受け、追い詰められる。地下鉄サリン事件直後に発表された本書は、思想的危機を迎えた「当事者」の切迫と緊張に満ちた様子を今に伝える。「宗教者」は著者の「迷い」とどう向き合うか。
 かつて日常のうちに「習慣」であった宗教が失われた今日という時代に、宗教を巡る赤裸々な苦悩が綴られた一冊。


2021.3.28 斎藤幸平『人新世の「資本論」』、集英社、2020年

「気候変動がもたらす世界規模の被害は、コロナ禍とは比較にならないほど甚大なものになる可能性がある。コロナ禍は一過性で、ささやかなものだったと、気候変動に苦しむ後世の人々は振り返ることになるかもしれない」278頁
 
新進気鋭のマルクス主義経済学者による「新書大賞」受賞作。タイトルに「資本論」とあるが、本書のストーリーは資本主義の限界を「気候変動」に見出し、その克服の具体策を提示するもので、マルクス経済学の解説書としての側面は弱く、社会への警鐘という観点に比重が置かれている。
 大量生産&大量消費による経済成長を旨とする資本主義世界の抜本的な改革を高唱する著者は、「SDGsは大衆のアヘンである」と、石油メジャー、大銀行、GAFAを放置して問題解決を先送りにするだけの国連スローガンの欺瞞を指摘する。
 「経済成長」と「環境負荷」というジレンマから目を背けず、アレルギー反応を呼びがちな「GDP減少」を「潤沢な脱成長」と説明し、具体的なその理路を示した一冊。


2021.3.27 土井善晴・中島岳志『料理と利他』、ミシマ社、2020年

土井「料理をするということは自然に触れる、ということなんですよね。〔...〕でも、自然のことだから、まずくなりようがないんですよ。味付け忘れたっていいんです。」 21頁
中島「レシピ自体が極めて近代的なもので、政治学で言う設計主義なんですよね。」49-50頁

 本書は料理研究家・土井善晴と政治学者・中島岳志による異色の対談を収める。料理は「食べる」ものではなく「作って食べるもの」という家庭料理研究家ならではの知見に発ち、調理過程を「自然にお任せ」と捉え、「おいしいかどうかというのはその日の運」と、「味」をも「結果」として受け止める視座を提示する(49頁)。
 「料理」を「自然」との対話と捉え、義務感から解放して人間が「生きる」ことの積極性と結びつける、「食」における「近代」を超克する一冊。


2021.3.26 宇野常寛『遅いインターネット』、幻冬舎、2020年

「現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具になっている。」184頁
 2019年にネット広告費がテレビ広告費を上回った。スマホとSNSの普及に伴う日本のメディアの激変を、著者はこう言い当てている。人々の消費の原動力が「他人の物語への憧れ」から「自分の物語を紡ぐこと」に変わった、と。
 急成長を遂げた「インターネット」だが、当の人間も含め、まだまだ未熟である。無料ネット記事の収益構造が閲覧数による広告収入のため、扇情的な見出しで生贄を消費する”fast”な記事が量産されている。著者はこの苦境の活路を、時間をかけた良質な情報発信「スロージャーナリズム」、そして受信者が「情報への進入角度と距離感を自分自身で調整できる」(194頁)ようになることに求めている。
 情報が氾濫し、人間が、そして社会が翻弄されることに対して、それに対抗しうる一つの具体策を示した一冊。


2021.3.25 村本大輔『おれは無関心なあなたを傷つけたい』、ダイヤモンド社、2020年

「おれは、テーマパークに逃げようとするあなたに、最高の現実を見せたいだけなんだ。」274頁
 著者は2013年のTHE MANZAIでの優勝が記憶に新しい日本屈指のお笑い芸人、ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏。現在でも毎年THE MANZAIに登場する同コンビだが、芸風は優勝時のそれとは異なる。著者の現在の関心はアメリカを本場とする「スタンドアップコメディ」。その即興というスタイルもさることながら、内容も社会風刺を基軸にジョーク、アイロニーと、日本の「お笑い」とは一線を画す。
 「この国の最大の悲劇は国民の無関心と芸人の沈黙だ」と話す著者の意図は、小さくか弱い声、多数派に押しつぶされそうになる声を日本中に届けること。それを「記事」としてではなく、「笑い」を媒介にして届けようとしている。
 一億総メディアの時代、誰もが語りたいことを語れる世の中へ、それを願う、お笑い界からの一つの「声」が詰まっている一冊。


2021.3.24 瓜生崇『なぜ人はカルトに惹かれるのか』、法蔵館、2020年

「人生に誰よりも誠実で真面目で、迷って生きることができなかったがゆえに、彼らは教団の提供する「真理」や「正しさ」に依存した。」10頁
 親鸞会に入会し、幹部まで昇りつめ、しかし一転して退会し、真宗大谷派の僧侶となった瓜生崇氏による唯一無二の著作。満員電車で通勤する姿を「まとも」と思えなかった瓜生氏の感覚を、私たちは一蹴できるのか、してよいのか。
 有名大学進学、有名企業就職、結婚、定年退職という「幸せな人生」。しかし今の社会は誰も「生きる意味」、「生きること」そのものを問おうとしない。なぜなのか。むしろ、そのような「世俗の価値観」に沿う生き方こそ「思考停止」ではないのか。カルト入信者とカルトそのものは往々にしてイコールで語られるが、「たとえ教団や教祖がインチキであっても、それを求めた人の思いは本物」(105頁)である。
 「理性」ではなく「信仰」や「思考停止」と直結させて語られる紋切り型のカルト理解を、解像度の高い言葉で説きほぐす、「宗教なき時代」(森岡正博)に光明を射す一冊。


2021.3.23 山本七平『「空気」の研究』、文芸春秋、1983年

「日本には「抗空気罪」があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処せられる」19頁
 誰にもどうすることもできない日本の「空気の支配」。著者はこの「空気」の分析を試みる。その象徴は「戦艦大和」。海上作戦においてはありえない戦艦一機での出撃の背後には、そうせざるを得ない「空気」があったという。
 しかし世界には「空気の支配」に抗う文化もあり、偶像崇拝否定という思考、またユダヤ法たるタルムードが挙げられる。他方、日本にはどのような「空気の固有性」があるのか。その醸成の過程を探るべく「空気」の歴史が辿られ、その発端が「賊軍」を強調した西南戦争であったこと、また近世以前の民族の知恵「水を差す」が西洋近代的「論理」に否定され、「空気」が逃げ道を失ったことなどが示される。
 「空気の支配」の相対化、そしてその融解のための第一歩となりうる一冊。


テキスト

仏教タイムス社編集部編『日本仏教の危機と未来』

本書は各宗派の僧侶を中心に、幅広い方面から「仏教」について論じることのできる人選を試みている。仏教タイムス社の面目躍如である。執筆者10名のうち未読の時点で知っていたのは2名、丸山照雄氏、島薗進氏であった。第一部では7名がそれぞれ自説を展開するスタイル、後半は3名による座談会形式となっている。目次は以下の通りである。第一部 家族と先祖祭祀 —日本仏教の基盤はどこヘ—

仏教タイムス社編集部編『近現代日本仏教の歩み』

前回と同じシリーズ(?)のうち、今年4月に刊行された最新号を取り上げる。本書は全4部から成るが、そのうち座談会を記録した第一部と第二部を中心としてみていきたい。第三部および第四部は資料として、こちらもパラパラとめくると面白いだろう。2007年出版の『日本仏教の危機と未来』とは異なりいずれも座談会となっているが、やはり人選はさすがの多岐に富むそれである。目に覚えのあったのは山崎龍明氏、釈徹宗氏、大谷栄一氏の各氏である。本書前半は以下のような設定の座談会である。(完全なるお節介なのだが、山崎氏と大谷氏の配置が逆であれば、とも思ってしまった。)

白井聡『武器としての「資本論」』

北大教育学部基礎論ゼミ室の共同募金箱が陶器製のMarx ‘Das Capital’ 通称「キャピタルくん」であったことは記憶に新しい。大学生であれば誰もが何らかの形で興味を持つであろうマルクスと『資本論』、これが本書のテーマである。マルクス研究で名高い佐々木隆治(経済学)は以下のように語っている。「マルクス研究者だからというわけではなく、実際のところ、『資本論』ほど面白い資本主義批判は今のところ存在しない。アイデアの鋭さ、深さ、豊富さ、どれをとっても匹敵するものはない。ただ、もう150年経っているので、そろそろ現代のマルクス主義者が集団的に乗り越えていくべきなんでしょうね」。(2020.6.6)  マルクス『資本論』は、その完成度の高さから今なお乗り越えられていないと

安永雄彦『築地本願寺の経営学』

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, Courage to change the things which should be changed, and the Wisdom to distinguish the one from the other.
訳: 神よ、変えることのできないものを
   静穏に受け入れる力を与えてください。
   変えるべきものを変える勇気を、  そして、  変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。


年を重ねるとどんどん文章が読みにくくなると聞きました。「これらはかやうにしるしまうしたり。(…)目もみえず候ふ。なにごともみなわすれて候ふうへに、ひとにあきらかに申すべき身にもあらず候ふ」(親鸞聖人御消息、聖典757頁)。僕はこれほど謙虚にはなれませんが、文字として書いておくことは大切なのではないかと思いました。読めるうちに。今のうちに。

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